これだけ広まったのは、独学でイラストやデザインを手掛ける八智代さんの力も大きいだろう。自分が描いたデザインが日本中に広がっていくのを見て、どう感じていますか? と尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「案を考えたり描いている時は楽しいし頑張るんですけど、それをクライアントが商品化する時はもう私の手を離れて『おたくのお子さまです』という感覚なんです。犬のブリーダー的な(笑)」

他社のアイスクリームを差し入れた日

時計の針を少し戻す。下町屋を続けながら多忙を極めていた浅羽さんは2009年、従業員に店を譲ってウィローの仕事に絞った。この頃、八智代さんと結婚。「いつか島に住みたい」という若い頃からの願いを実現するため、博多の姪浜からフェリーで10分の能古島に移住した。

筆者撮影
福岡市営の渡船「フラワーのこ」。全長31.2メートル、全幅10メートル、169トン。
筆者撮影
姪浜から能古島に渡る。所用時間は10分程度だ

それから1年後、福岡県柳川市でフルーツ・野菜・米などを生産している杏里ファームの代表、椛島一晴さんとの仕事が始まる。

浅羽さんは「地方の商品にデザインを」というテーマで動いていた厚生労働省の雇用創出プロジェクト「九州ちくご元気計画」を通して、椛島さんと出会った。自社で育てたフルーツを使ったジェラートの売り上げが思うように伸びず、悩みながらも、「多額の資金を投じてデザインを変えれば本当に売れるの?」と疑問を抱いていた椛島さんのもとに派遣されたのが、浅羽さん。

浅羽さんはある日の打ち合わせで、サーティーワンのアイスクリームをお土産に持っていき、「みんなで食べましょう」と勧めた。自社のジェラートに絶対の自信を持ち、大手のアイスやジェラートを「おいしくない」と見下していた椛島さんは、それを食べて「……うまかね」と認めた。その様子を見て、浅羽さんはこう続けた。

「みんな、うまいもんを作ろうと思って作っているわけだから、どれも普通にうまいはずなんで、うまいだけじゃない部分が必要ですよね。そもそも俺はジェラート買わんしね、どこ行ってもあるし。やっぱり、もっと特徴あるものを作っていったらいいんじゃないですかね」

友人の一言に、アンテナが反応した

他社のアイスクリームを差し入れ、面と向かって「ジェラートは買わない」という。同席していたら汗が噴き出しそうなやり取りだが、椛島さんと浅羽さんは意気投合。何度目かの打ち合わせの際、たまたま同行した友人がジェラートを食べながら言った一言「ガキの頃に食べとったのは近所の店の安っぽい味のアイスキャンデーばっかりやったはずやけど、やたらうまかったんよねえ」に、浅羽さんのアンテナが反応した。