倒れて動けなくなり、救急車で病院に行くはめに
事故から数日後の朝、父は寝室で倒れて動けなくなり、救急車で病院に行くはめになった。脳内出血か心臓発作ではないかと心配したが、救急病院の検査結果では、異常がないと言われた。
倒れたのは、血圧が急に上がったのが原因だったらしい。内科に連れて行かなければならないが、認知症の検査も受けさせたい。地域包括支援センターに相談して、内科と神経内科の両方があるクリニックを紹介してもらった。
医師は脳の画像を、父にも私にも見せて、どこが萎縮しているかを丁寧に説明してくれた。
「黒く写っている部分は海馬と側頭葉です」
父はどういうわけか、張り切った口調で先生に言う。
「海馬、わかりますよ。本当にタツノオトシゴみたいな形ですね」
先生は、優しく、父を尊重して対応してくれる。
「よくご存じですね」
にわかに父の表情が明るくなる。知識があると褒められたのがうれしいらしい。先生は、海馬の部分を指差した。
「ここが萎縮していると、今のことをうまく記憶できないんですよ。歳を取ったら、みんなそうなってきますけどね」
医師から認知症と言われて「ほっとした」
先生の説明の中の、「みんなそうなってきます」という部分だけが、父の印象に残ったのは明らかだった。自分は年相応に忘れっぽくなっただけだと、都合よく解釈したに違いない。
「私も93ですからね、歳には勝てません」
冗談っぽく答えてから、一礼して診察室を出ようとした父を、先生は引き止めた。
「認知症の検査をしますから、こちらに座ってください。娘さんは外でお待ちください」
漏れてくる声に聞き耳を立てた。父は楽しそうに質問に答えている。どうやら検査を受けている感覚がないらしい。
終了後に先生に呼ばれて、「長谷川式認知症スケール」で検査をした結果を聞いた。30点満点のところ、19点だったという。20点以下は、認知症の疑いが高いとされているそうだ。
父が認知症だと専門医に言われて、私はすごく気が楽になった。この数年間、何度となく父と喧嘩した。どんどん自分本位な性格に変化していく父に、私は怒ったり傷ついたりしてきた。できることなら、優しくて、ちょっとモダンで、「パパ」と呼ばれるのが似合う父に戻ってほしかった。
けれどもそれが、認知症という病気のせいだったなら、「変えよう」と思わずに「合った対応をしよう」と考えれば良いのではないだろうか。ある種の希望を持つことができた。