「褒める介護」を実践すると決めた

長男との電話は、父の姿を客観的に見るきっかけになった。こうするべきであるという、上から目線で父にものを言うのをやめることにしよう。「褒めて良いところを伸ばす」育児法が話題になるが、年寄りにも応用できるかもしれない。

翌日の夕方、父の家に着いて呼び鈴を鳴らすと、父が玄関の戸を開けてくれた。「褒める育児」ならぬ、「褒める介護」を実践すると決めたのだから、私は優しく言葉をかけた。

「あら、パパ、洋服を着ているんだ。偉いね」

せっかく私が褒めているのに、父は呆れたように言った。

「何言っているんだ。寒いのに、裸でいる訳ないだろう」

「違う、そういう話ではない」と言い返したいが、「褒める介護」には忍耐が必要だ。

父は昨日まで、車がなくなって出かけられないから、着替える必要はないという理由で、一日中パジャマで過ごしていたことを、もう忘れてしまったのだろう。

今度は、お世辞ではなく本当に感激した

言葉を飲み込んで台所に向かうと、炊飯器から蒸気が上がっている。今度は、お世辞ではなく本当に感激した。

「パパ、ご飯を炊いてくれたの! すごいね」
「いや、毎日やっていたことだから、すごくはないけど」

父は照れくさそうにニッコリ笑った。自損事故のショックで1週間以上無気力になっていたが、昔の感覚を取り戻しつつあるのかもしれない。父に役割を持ってもらい、認知症の進行を遅らせることができるのではないかと期待を持った。

森久美子『オーマイ・ダッド! 父がだんだん壊れていく』(中央公論新社)
森久美子『オーマイ・ダッド! 父がだんだん壊れていく』(中央公論新社)

父が炊いたご飯を一口食べてみると、とてもおいしい。

「ご飯を炊くのが上手だね。これから毎晩炊いてくれると助かるんだけど」
「いいよ。やっておくよ」

お米を2合研いで水を入れた後に、氷を2個入れてからスイッチを入れるとおいしく炊けるのだと、父流のやり方を教えてくれた。

「私も今度やってみるね」

うなずいた父の柔和な顔を見て、「褒める介護」をこれからも忘れないでいようと思った。

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