「世話が大変なことと、仕事が忙しいことは、別の話だよね?」
私は息子2人が高校生と中学生のときに離婚した。息子たちが思春期のときに心安まる家庭環境を与えてやれなかった申し訳なさを、ずっと心に抱いている。そのため、彼らに弱音を吐いたことはあまりない。しかし、父の世話をする心身の負担と、仕事や大学院の勉強のすべてが肩にのしかかり、気の持ちようがわからなくなっていた。涙ながらに私は、長男に自分の気持ちを話した。
30代半ばの長男は、私が落ち着くのを見計らって言った。
「問題を整理したほうがいいと思うよ。おじいちゃんの世話が大変なことと、仕事が忙しいことは、別の話だよね?」
「……そういえば、そうだね」
クールで、的を射た助言だと思いつつも、私はなんとなくおもしろくない。
「日に日に壊れていく親を見ている辛さは、孫のあなたにはわからないのよ!」
「ありのままを受け入れよう」とは考えなかった
まるで嵐が通り過ぎるのを待つような間をおいて、長男は答えた。
「わかるよ。俺だって、おじいちゃんが変わってしまうのを見ているのは、正直、辛かった」
長男は父の自損事故の少し前に、1週間ほど休みを取って話し相手をしに遠方から来てくれていた。認知症の兆候があることを目の当たりにしていたからこそ、私を諭すように続ける。
「事故のことを忘れているけど、ほかのことは覚えているでしょ。それを受け止めてあげなきゃ。俺はおじいちゃんが何回同じことを言っても、『そうだね』って聞いてるよ」
脳の機能が今のことを記憶できない状態になっていたとしても、忘れていないこともあるはずだ。それを聞いてあげるべきだと長男は言う。私は目から鱗が落ちた気持ちだ。
そういえば、この数年、私はずっと父の言動の揚げ足を取り、常に否定していた。ありのままを受け入れようとは、考えもしなかったように思う。もしかしたら、その態度が父を頑なにさせていたのだろうか。