さもわかったように返事をする「取り繕い反応」

事故の数年前から私は、携帯電話に知らない着信があると、その度に「父が事故を起こしたのでは?」と、胸がざわざわしていた。

テーブルの上のスマホをとる
写真=iStock.com/Farknot_Architect
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母が亡くなってから40年近く、父が1人で暮らしてこられたのは、車で気軽にスーパーに行けて、食料を調達できていたからだ。札幌市内に住んでいるのだが、地下鉄の通っていない地域だし、バスは1時間に1本しかない。車があったから父の生活が成り立っていたのは確かだ。

車が廃車になったなら、新しい車を買えばいいと考えている父。運転することは年齢的に決して許されないと私は諭した。その度に父は、「人を轢いたら大変なことになる」とか、「晩節を汚せない」だとか、さもわかったように返事をする。たぶんそれも一種の取り繕いだと想像できた。

「取り繕い反応」に騙され、親が認知症になったことに気づくのが遅れるケースは、結構多いのではないだろうか。わかっているように装って、父が正論を言っているのを事故の件以外でも何度か見た。

認知症を「他人事」と思っている父

例えば、友達に電話して、父は共通の知人のことをこう言った。

「かわいそうに、認知症になったらしくて、私が電話しても、誰だかわからないんだ。それなのに、自分のことは全部自分でやっているって言っているのだから、ご家族は大変だろうね」

私は唖然とした。オーマイ・ダッド!

『何言っているの! それって、パパとまったく同じだよ!』

同様に、高齢ドライバーが人身事故を起こしたニュースを見ても、他人事と捉えた発言をする。

「歳取ると、足が悪くなるし、判断力が落ちるから危ないよな」

私はため息が出た。そして気づいた。自身の判断で「運転免許返納をする」人たちは、正常な思考能力を失っていない方々なのだと。自分の能力を自覚し、人に迷惑をかけないうちに運転をやめるのは、人生に対する想像力と、人への思いやりがあるからだ。もはや父にはそれがない。