自分の時間がなくなり、1週間で息が切れてきた

認知症の父をどう支えれば良いのか、私は真剣に考えた。数年前、父の免許返納問題を警察に相談に行ったときに言われたことを思い出した。

どうアプローチしたら父に免許を返納させることができるかと尋ねた私に、担当者は、これまでと同じ生活ができるように、支える覚悟を持つ必要があると言った。

正直なところ、無理だと思ったのを覚えている。でも、父の年齢からすると、自宅で世話をしてあげられる時間はそう長くはないだろう。できるだけのことをやってやりたい。弟はだいぶ前に亡くなっているので、1人で頑張らなければと私は気負っていた。

小説やエッセイの執筆だけでなく、いくつかの公的機関の委員もしているし、大学院にも通っている。父の家と行き来しながら仕事や勉強の時間を作るには、寝る時間を削るしかない。

まず、朝は電話で安否確認をする。

「パパ、おはよう。元気ですか?」

娘の心配をよそに、父は言う。

「あぁ、俺はいつも元気だ。なんで毎日電話をかけてくるんだ?」
「この間、ベッドの横で倒れていたじゃない。パパ、救急車に乗ったことを、忘れたの?」

少し考えているような間があった後、父は言った。

「いや、救急車に乗ったことはないな」

ともあれ、無事を確認できたことに胸を撫でおろし、慌ただしく仕事をこなしてから夕飯を作りに行く。そして夜中に帰宅して、机に向かう。65歳の私には、かなり堪えるスケジュールだ。1週間ほどで息が切れてきた。

朝を迎えると、なぜか急に涙が込み上げてきた

折しも、札幌は雪がどんどん降る時期だ。事故から10日後、大雪に見舞われた。私の自宅マンションの駐車場周辺の除雪をしなければ、車は動かせない。これがかなり体に堪える。

へとへとになって車に乗ると、今度は大雪による渋滞で、普段は車だと十数分ほどで父の家に着くのに、片道1時間半もかかるようになってしまった。

積雪による渋滞
写真=iStock.com/COM & O
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父は自分のことは自分でできると思っているので、私が無理して行っても感謝している気配はない。ところが、私のほうが父の様子を気にしてしまい、毎日父の家に向かってしまう。

子育てに例えて言うなら、私は父に対して過保護そのものだ。それがわかっているのに、父の世話をするのは私の役目だという、長女特有の「お姉ちゃんなんだから頑張らなければならない」という責任感を捨てることができない。

父のケアが大変だと友達に愚痴ると、異口同音に「1人で頑張らないで、福祉の手を借りなければ」と言う。しかし、そう簡単に福祉の手を借りられるシステムにはなっていない。年末が近づいているため、居住区の要介護認定審査に来てもらうのは、正月明けまで待たなければならなかった。

睡眠時間が3時間ほどしか取れずに朝を迎えると、外は絶え間なく降り続く雪で、一面真っ白だった。なぜか急に、涙が込み上げてきた。このままでは私がダメになる。辛いときは、辛いと言おうと決意し、私は離れて住む長男に電話をかけた。