今年3月、捕鯨会社「共同船舶」(東京都中央区)の新しい捕鯨船「関鯨丸」が竣工した。日本では73年ぶりに完成した捕鯨母船になる。鯨肉の消費量が減っている中で、なぜ約70億円をかけて船を新造したのか。共同船舶の所英樹社長にライターの山川徹さんが聞いた――。(前編/全2回)
写真=時事通信フォト
山口県や下関市が母船式捕鯨の母港化を目指す中、新しい捕鯨母船の進水式が開催された。共同船舶(東京)が所有する「関鯨丸」で、世界で唯一となる船団式の捕鯨船の母船。船内でクジラの解体から保存までを行える=2023年8月31日、山口県下関市の旭洋造船

新しい船を造らなければ捕鯨業に未来はない

――今年3月に竣工した関鯨丸は、73年ぶりに新造した捕鯨母船だそうですね。

長年、日本の捕鯨を支えてくれた日新丸の船齢が36年になりました。日新丸は、1991年から南極海の調査捕鯨に従事し、2019年からは、日本のEEZ内で再開された商業捕鯨でも活躍しました。

しかし船の寿命は通常30年と言われています。日新丸は限界を超えていました。毎年の修繕費だけで約7億円。日新丸の修繕費が経営の負担になっていたんです。

現在、日本の沖合ではわれわれのみが「母船式捕鯨」を行っています。母船式捕鯨には、クジラを探し、捕獲するキャッチャーボートと、海上でクジラを解体したあとに、加工、保存を行う捕鯨母船が必要になる。

日本は90年前の1934年に南極海に捕鯨船団を派遣してから、母船式捕鯨を続けてきました。もしも新たな捕鯨母船の建造に踏み切らなければ、沖合での捕鯨から撤退せざるをえなかった。

国からの補助金が打ち切られた

――撤退という選択もあったのですか?

あったと思います。私が社長に就任したのが、2020年7月。日本の捕鯨は大きな転機を迎えていました。

その前年にIWC(国際捕鯨委員会)を脱退した日本は、南極海などで行っていた調査捕鯨をやめて、日本のEEZ内での商業捕鯨再開を表明しました。

2018年度まで32年間続いた調査捕鯨は、水産庁から委託を受けた日本鯨類研究所が実施しました。私たち共同船舶には、日本鯨類研究所からの用船料や人件費などが支払われていました。端的に言えば、赤字にならない仕組みだったのです。

2020年度までは「実証事業支援」という形で、国から毎年13億円の補助を受け、商業捕鯨の形を模索しました。しかし私が社長に就任した翌年に打ち切られました。

いわば、国が行う調査捕鯨という事業で生き延びてきた共同船舶が、企業としての自立を迫られた。捕鯨で採算を合わせなければ、会社が存続できなくなる瀬戸際に追い込まれたのです。

どのように会社を立て直すか。企業としてどう自立するか。社長就任を打診されたとき、関係者の方々に、共同船舶の再建を、商業捕鯨の成功を託されたと感じました。

お引き受けするときに、新しい母船の建造の可否――つまりは沖合での捕鯨を継続するか、否か決断を迫られるだろうと覚悟していました。