好調のつもりが、いつのまにかできていた円形脱毛

やはり、全員揃った状態でトップに立ちたい──。

そんな思いで迎えた2011年。前半は騎乗停止もあり、ややスロースタートとなったが、秋競馬に入った頃にはトップの岩田くんに追いついた。その後は、年末まで抜きつ抜かれつの大接戦。気を抜けない日々が続いたが、いつの間にか岩田くんへの嫉妬心は消え去り、ジョッキーとして充実感を味わっていた……はずだった。

福永祐一『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』(KADOKAWA)

そんな激戦のさなかのある日、行きつけの美容院へ散髪に行ったら、いつも担当してくれている美容師さんの手が止まり、「あれ? 祐一さん、ここポッカリ空いてますよ」と言われた。「は?」と思って指摘された部分を触ってみたら……髪の毛がなかった。円形脱毛症である。

「今、一番勝っているし、充実していてストレスもない。え~、なんで?」と言いながら、ちょっとしたパニックに。500円玉くらいの立派なモノができていたが、ちょうど髪の毛で隠れる場所だったから、自分では気づけなかったのだ。

最後までもつれたリーディング争いは、岩田くんが131勝で2位、自分が133勝で、2年連続の関西リーディングに加え、初めて全国リーディングを獲得。

もちろん達成感はあった。だが、それ以上に身体からのメッセージを無視するわけにはいかなかった。

闘争心を自ら煽り立てて戦ってきた反動

リーディングを獲るには数多くの厩舎の馬に乗ることが必須で、場合によっては、乗りたくないなと思う馬にも乗らなければならない。そういったことから目を背けるために、自分で自分の闘争心を掻き立て、攻撃性を高め、ビッグマウスを演じながら自己暗示をかけた。それにより一時は獲れるはずがないと思っていた全国リーディングが獲れたのだから、結果的には大成功だ。

だが、やはり自分本来の性格的に、そういったやり方は合わなかったのだろう。思い返せば、酒癖の悪さや運転の荒さを指摘されるなど、その弊害がいろいろと出ていたのもこの頃だ。

自分を俯瞰して捉える冷静さを持っていたつもりだったが、攻撃的な自分を演じるうちに、いつの間にか本来の自分を見失っていたのではないかと思う。円形脱毛症というわかりやすいSOSが出るまで、そのことに気づけなかった。

かねてからの目標を達成できたことで、人格を変えてまでトップを獲りにいくのはここで終わり。これからはきちんと厩舎とコミュニケーションを取りながら、ありのままの自分で気持ちよく仕事をしていくことを決めた。

関連記事
二刀流の原点は「父との野球ノート」だった…大谷翔平が父から習った「野球で本当に大切な3つのポイント」
その度胸に野村克也監督も惚れ込んだ…130キロしか出せない戦力外投手が「松井秀喜が恐れる男」になるまで
これだけは絶対にやってはいけない…稲盛和夫氏が断言した「成功しない人」に共通するたった1つのこと
SMAP解散で「奇跡」を信じられなくなった…「ソフト老害」を自覚した鈴木おさむが「テレビの人」を辞める理由
「2ちゃんねる」を作ったからではない…妻が見た、ひろゆきがお金持ちになれた本当の理由