1998年9月、JRA史上5頭目の三冠馬であるナリタブライアンが亡くなった。引退からわずか2年後のことだった。なぜナリタブライアンは若くして亡くなったのか。サンケイスポーツ鈴木学記者による『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)から紹介する――。(第1回)

※本稿は、鈴木学『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

競馬日本ダービー・優勝したナリタブライアンと南井克巳騎手
写真=時事通信フォト
第61回日本ダービー(G1)を制し、記念撮影するナリタブライアンと南井克巳騎手(=1994年5月29日、東京競馬場)

ナリタブライアンが侵された「不治の病」

高松宮杯からちょうど1カ月後の6月19日、衝撃のニュースが競馬界を駆け巡った。ナリタブライアンが屈腱炎を発症したことが明らかになったのだ。

屈腱炎とは、上腕骨と肘節骨をつなぐ腱(屈腱)の腱繊維が一部断裂して発熱と腫れを起こすこと。馬の前脚の屈腱はバネの役割を担っており、伸縮することで走る時にスナップを利かせたり、着地の衝撃を和らげたりする働きをする。

人間のアキレス腱と同じような役割を果たしており、馬は腱にたまったエネルギーを上手に使って効率良く走っている。そのため、屈腱炎を発症すると思い切り走るのは困難で、能力を十全に発揮することができなくなる。生死にかかわるものではないが、完治するのは難しいことから「不治の病」と言われている。ナリタブライアンの兄ビワハヤヒデも引退に追い込まれた病だ。

関係者がナリタブライアンの異変に気づいたのは、全休日明けの6月18日の早朝だった。栗東トレセンにある大久保正陽厩舎の馬房からナリタブライアンを引き出すと、わずかに右前脚を気にするそぶりを見せた。脚が少し腫れていた。この日は角馬場での軽い調整にとどめて様子を見たが、19日の朝になると熱も持ったため、栗東トレセン診療所で検査したところ屈腱炎と診断された。

「なんとか大きなレースを勝たせてやりたい」

「ガクッときた。宝塚記念を控えての矢先のこと。本当にショックだった」

大久保はそう言って、馬主の山路秀則に報告、了承を得た上で長期休養することを明らかにした。それは現役を続行して再起を目指すということだ。

「無事にいけば有馬記念を最後に引退するはずだった。しかし状況が変わった。年内は難しいかもしれないが、復帰に全力を傾け、種牡馬入りする前にもう一度、なんとか大きなレース(G1)を勝たせてやりたい」

ナリタブライアンの症状は、栗東トレセン診療所の所長いわく「屈腱炎としては重くも軽くもない普通程度の症状」ということから大久保は復帰を目指すことを決めたという。

ナリタブライアン屈腱炎のニュースを聞いて、高松宮杯のレース直後にテレビ中継で語った競馬評論家・大川慶次郎の予言めいた言葉を思い出したファンも多かったろう。

「あとは無事だといいなあ……。馬を無理させたことで故障したりすることがあるんですよ。股関節(の故障)をやってますからね。ちょっと心配ですけども……」

ある獣医師は「レースが原因だとすれば、1週間以内に判明するもの」と、高松宮杯出走と屈腱炎発症の因果関係を否定するが、詳しい原因は断定できない。大久保正陽がいくら「復帰を目指す」と言っても、屈腱炎によって引退を余儀なくされた競走馬は数知れない。完治することはまずない。「幹細胞移植」という手術もあるが、これにしても劇的に良くなることはなく、患部に負担をかけずに時間をかけて養生するしかない。

編集部註:初出時、リード部分に事実と異なる箇所があったため修正しました。(2024年6月3日17時00分追記)