なぜ「週末は家族サービス」なのか
「そもそも、なぜ週末くらいは家族サービスをしないといけないのか」を深めてみましょう。
「週末くらいは家族サービスをしないといけない」とは「私たちの言葉」なのでしょうか。
「家族サービス」って具体的にはどういうことなのか、家族は一緒に話し合ってみたのでしょうか。
もしかしたら「お父さんは平日は仕事だから、旅行は絶対週末になるし、そうすると毎回帰り道とか渋滞になってイライラし出してどうでもいいことでキレるんだよな、本当にいつも最悪な気分になる……なのに旅行はしなくていいよと言えば、それはそれで怒るし、意味がわからん……」と思われているのかもしれないのです。なぜ家族サービスをしないといけないと思っているのか、なぜそれが遠出の旅行なのか考えてみる必要があるでしょう。
もしかしたら「自分の父親は家族に全然構わない人だったから、自分はいい父親になりたい」と思って家族サービスをしているのかもしれません。そして「珍しく父親が家族サービスをしてくれたのが遠出の旅行だった、あれは今でもいい思い出だ」と思っていて、だから自分も遠出の旅行をしているのかもしれません。
「ああ、あの日は本当に楽しかったな」としみじみと自分の感情に触れてみたり、あるいは「よく考えたら別の日には俺が全然欲しくないプレゼントを買ってきて、喜ばなかったら怒鳴って窓から捨てられたこともあったな……今自分が家族にやっていることは、結局そういうことじゃないか」と理解することもあるかもしれません。
無意識に感じ考えていることを言葉にする
このように、自分が無意識に感じ考えていることを言葉にすることが「現実の言語化」です。それに対して「なんとなく」「そういうものだ」「週末くらいしか旅行できないだろう」「家族なんだから」など、十分に深掘りされることなく、もはや自分自身もうまく説明できない言葉は「妄想の言語化」です。それらは、現実の説明になっていないのです。
実はこんなふうに自分の考えを深めて話すことのできない人はたくさんいます。
「自分でもよくわからない、自分を、周りを生きづらくしている言葉」で自分を作ってきた人です。何を感じ、どう考えるべきか、どう言動するべきかを「人に言われたこと」で作ってきた人です。
そういう人は「自分の言葉」を失ってしまっているか、「誰かの言葉」によって覆い尽くされてしまっています。そういう方は、まずその自分の言葉に見せかけた「誰かの言葉」を一つひとつ丁寧に観察し、自分を語り直すことが必要になります。