虚勢は経営でできている
その前提として、我々は他者と交流する中で他者の中に自己を発見する。
難しい話ではなく、誰かと話していて「あっ、分かる、分かる」という経験がある。これは「自分の考えの一部が相手と共通していた」「自分の一部を相手に見出した」ということだ。
だとすれば、自己愛が強い人は、自分と何かが共通する人に対して「少なくとも自己との共通部分は尊敬できる」はずだ。そうでなければ自己愛が弱すぎる。論理矛盾だ。そして自分から相手を尊敬すれば、少なくとも相手は「自分を理解してくれた」という一点では自分を尊敬してくれるはずである(そうならない相手とは付き合わなければよい)。こうして相互尊敬が生まれ友情が育まれる。
友情とは相手の中に自分の分身を見つけ、自分の分身を愛することを通じて、自己愛から他己愛へと至る感情なのである。
ここでみてきたように虚勢もまた経営でできている。
一度立ち止まってこのことに気が付けば、グルメアピールのし過ぎで体型と健康を破壊してしまったり、多忙アピールに必死になって恋人と破局したり、人脈アピールによって周囲から人がいなくなったりといった、凡百の悲喜劇を回避することもできよう。
参考文献
キケロー『老年について 友情について』、大西英文 訳、講談社、2019年。
瀧波ユカリ・犬山紙子『女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態』、筑摩書房、2014年。
Veblen, T.(1899). The theory of the leisure class. New York, NY: Macmillan. 邦訳:ソースタイン・ヴェブレン、ジョン・ケネス・ガルブレイス(序文)『有閑階級の理論[新版]』、村井章子 訳、筑摩書房、2016年。
山極寿一『暴力はどこからきたか:人間性の起源を探る』、NHK出版、2007年。
山極寿一『「サル化」する人間社会』、集英社インターナショナル、2014年。