緊急用の放水路として整備された

これらのトンネルは、もともとは洪水用の水路として設計されたものだ。ラスベガスは本来、乾燥した気候で知られる。米地方メディアのKSLによると、年間雨量は約4インチ(約102mm)で、東京の年間降水量の10分の1にも満たない。

だが、表土の大部分は水はけの悪い粘土質の土壌で覆われている。まとまった降水があるたび、とたんに各地で大規模な洪水に見舞われてきた。こうした水害を防ぐ目的で建設されたのが、地下トンネル網だ。

米ラスベガスの地元紙、レビュー・ジャーナルは、3カ月続くモンスーンのシーズンには、トンネルは時速30マイル(時速約48km)もの速度で水を通し、湿地帯や東部の人造湖であるミード湖に放流することでストリップの大通りを保護していると解説している。

行き場を失った人たちの「ふるさと」になった

KSLによると、高さ4~10フィート(約1.2~3m)のトンネルが600マイル(約965km)にわたって建設され、そのおよそ3分の1がラスベガス市街地の直下に位置する。英デイリー・メール紙が掲載した計画図によると、未整備のものも含め、大通り1本につきほぼトンネル1本が対応する。

この迷路のような一連のトンネルシステムは、街を洪水から守るだけでなく、灼熱しゃくねつの夏には地底の住民に涼しい環境を、寒冷な時期には暖かい避難場所を提供している。

トンネルの住民たちは、地下生活の利点を口にし、温度調節は極めて重要なメリットであると口々にいう。ある住人は、「暑い季節は日陰で涼しく、寒い季節は少し暖かくなる」と話す。洪水の調節目的で建設されたトンネル網は、型破りな住居空間としても二重の役割を果たしている。KSLは「ネオンの光の下では、何百人もの人々がラスベガスの地下トンネルを故郷と呼んでいる」と伝える。

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赤ん坊を亡くし、家と仕事を失った50代の元銀行経営者

住人たちは、いかにしてトンネルでの生活に行き着いたか。その経緯はさまざまだ。酒やドラッグに溺れ人生が崩壊した人々がいる一方、かつて第一線の盤石な企業で働き、アメリカのビジネス界を牽引してきた人々もいる。

現在トンネルに住むある50代男性は、かつて銀行の経営者だった。結婚して子供をもうけ、フロリダに32年住むというアメリカン・ドリームを生きた男だ。だが、少なくとももう5年間を地下トンネルで過ごしており、今となってはこの地を離れる気はない。