死にもしないのに「遺書」を書く陰湿さ
たとえば「嘆きつつ……」の歌の事件のときだって、わざと門をあけずにいれば、男はうんざりして別の恋人、町の小路の女のところへいってしまうのはあきらかだ。意地を張ったおかげで、みすみす彼女はライバルに夫を渡してしまうのだ。
あるときは、死にもしないくせに「遺書」を書いたりしている。病気になったふりをしたり、死ぬふりをするというのは、男から捨てられかけて、ノイローゼ気味になった女のよく使う手である。中にはそれが昂じてほんとに病気になってしまう人もいるが、遺書を書くというくらい男をうんざりさせるものはない。これではますます相手がうとましくなってくる。
その意味では「蜻蛉日記」は王朝版「夫にきらわれ方教えます」である。そう思ってみると現代でもすぐに役立つ人生の書ともいえそうだ。
もっとも、こんなことを書けば、あの世の彼女は言うかもしれない。
「わかっていても、やめられないのが女のヤキモチなのよ」
それはたしかにそうなのだが……。