大事なのは、とりあえず聞いてみることなんだ。悪いなと思ったら、相手から同じようなお願いをされたときに、嫌がらずにお返しをすればいい。直接その人にお返しできなくても、別の人に親切にしてあげたらいいじゃない。
お寺というところは、ふつうの学校と違って、手とり足とり教えてくれるということはないんだ。いっぺん教えてくれたら、二度と教えてくれないという約束がある。話を聞くときは真剣に聞きなさいということだけど、それでもわからないときは、先達の人に聞きにいく。
相手に「うるさい奴だな、しつこいな」と思われるくらい、いろんなことを質問する。それで初めて、ものになるんじゃないのかな。そのときに遠慮していたら駄目なんだ。
回峰行では40キロのけもの道みたいなところを歩くでしょう。道順や、あちこちにある礼拝場所を「手文」という紙に自分で書き写すことになっている。最初の1日だけは先達の阿闍梨さんが同行してくれるけど、次の日からは、手文を見ながらたった1人で歩かなくちゃいけないんだ。
1人で、しかも夜中に歩くから不安で不安でしょうがない。どうしても自信がないところは、やっぱり先達の人に聞くしかない。すると、1回だけは教えてくれる。遠慮していたら、ずっと間違えたままになるんだよ。
ほかのことでも同じだよ。遠慮をして言いたいことが言えないと、声が小さくなっちゃうでしょう? 大きな声で、遠慮をしないで朗らかに話すといいんだよ。
酒井雄哉
比叡山飯室谷不動堂長寿院住職。1926年、大阪府生まれ。夜学の慶應義塾商業学校を経て熊本県人吉の予科練に志願し、鹿児島県鹿屋の特攻隊基地で終戦を迎える。戦後は職を転々とし、40歳のときに仏門へ。著書に『一日一生』『「賢バカ」になっちゃいけないよ』など。
2度も満行した「千日回峰行」では山中を各回4万キロ歩いたほか断食断水・不眠不臥で9日間を過ごす「堂入り」も経験。包み込むような師の優しい言葉は、厳しい修行に裏打ちされている。