僕のところにも、ご先祖の霊が悪さをするから「どうにかしてください」って相談にくる人がいる。肩のところに乗っかっていて、体の具合が悪いと言うんだね。
そういうとき、僕はこういうたとえ話をするんだよ。
親戚に、できのよくない甥っ子がいて、たびたびお金をせびりにくる。その都度なにがしかを渡すんだけれど、何度も来るので、みんな困り果てている。そんなとき一番効くのは、おっかない伯父さんが出ていって「バカもの! おまえとはもう縁を切る」と一喝することだよね。
それと同じで、ご先祖っていうのは子孫の繁栄を守るものだから、大切にしなくちゃいけないの。ところが、あなたの言うご先祖は、子孫を守るどころか祟ろうとする。それが本当にご先祖なら、ご先祖の風上にもおけないじゃない?
こっちから縁を切ってやればいいんだよ。
そうすると、「ほんとですねえ」なんて言って、さっきまで暗い顔をしていた人が、大笑いしながら帰っていくんだよ。
信者さんのことでは、こういうこともあったな。
昭和52~53年のことだけど、僕はちょうど千日回峰行(比叡山中を延べ4万キロ歩き通す天台宗の荒行、酒井師はこれを2度も満行している)をしていたでしょう。お寺にいるときに、信者さんが訪ねてきて、僕の顔を見るだけで帰っていくことがあったんだ。
せっかく山を登ってきてくれたのに、どうしたのかなあと思ったけれど、よく考えてみれば、信者さんはお経をあげてほしかったんだ。だけど僕が行をしているから、遠慮して言い出せなかったんだね。
4、5分でもお経をあげてやればよかったなあと、あとになって後悔したけど、信者さんのほうも心残りだったんじゃないのかな。
だから遠慮というのは、しないほうがいいんだよ。信者さんとしては「行者さんに無理をさせては悪いから、お願いはしないでおこう」と思うのだけど、無理かどうかは聞いてみなくちゃわからないよね。