結婚後も続く支配

高戸さんは20代後半で、大学時代に出会った先輩の男性と結婚。夫は就職後、配属先が遠方だったため、高戸さんは結婚を機に家を出た。

だが、新婚生活が始まっても両親の支配は止まらなかった。

父親には「ひと月に一回は帰って来い」と命令され、仕事を休み、新幹線で数時間の距離を帰省して手土産を渡せば、母親にケチを付けられ、父親や周囲の人の悪口を延々と聞かされながら、奴隷のように家の用事や手伝いを強要された。

さらに両親は、高戸さんが夫と暮らす新居のアパートに数カ月に一回のペースで、数日間泊まりに来た。

新しい土地で再就職していた高戸さんは、両親が泊まりに来るたびに仕事を休み、布団や食事や観光などを手配した。当然、そんな娘の気配りに感謝する両親ではなく、まるで自分たちの別荘のように考えている様子。来るたびに手配したレンタル布団を、「こんな誰が使ったかわからない布団に寝るの嫌なんだけど」といつも同じ文句を言われた。

結婚から5カ月ほど経った頃、今度は父親から「まだ子どもができないのか? なんでいつまで経っても産まないんだ? お前バカか?」としつこくなじられ、母親からは、「近所の××さんはいつも孫自慢ばかりで気分が悪い!」と憤慨されたり、「あたし60超えてもおばあちゃんって呼んでもらえないなんてつらい……」と泣かれたりし始める。

すると高戸さんは、「一刻も早く妊娠しなければ!」という強迫観念に突き動かされ、不妊治療を開始。だが、病院はいつも人であふれ、診察は一日がかかりになることもしばしば。さらに不妊治療は、苦痛を感じるものが多い。高戸さんの心はだんだん暗く沈み、「これが幸せいっぱいの新婚生活? おかしいんじゃない?」という疑問がふくらんできた。

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異変が生じ始めたのはそんな頃だ。

どんなに休息しても疲労感が取れず、常に異常な不安や苦しみが襲うようになった。特に夜は心配事で頭がいっぱいになり、一晩中ネット検索をしてしまう。

それでもひと月に一度は実家に帰省し、親の要求に応えながら、夫との生活や仕事をこなすという生活が続いた。

「親の言いなり人生」との決別

高戸さんは内科にかかったが、どこにも異常はない。ならばと高戸さんは、生まれて初めて心療内科を受診した。成育歴や現在の状況を詳しく話すと医師は、「重度のうつ病」と診断し、「今すぐに入院が必要」と言った。

高戸さんは、「まさか自分がうつ病? しかも入院が必要なくらいの重度?」と驚き、これまで親孝行だと信じて必死で頑張ってきた“親の言いなりになること”が、実は自分の心身を蝕んでいた原因の1つだと医師に指摘され、衝撃を受けた。

病院から帰ると高戸さんは、よせばいいのに両親にすべてを話した。

すると父親は、

「精神科なんて行くな! あんなところ、薬をたくさん飲まされておかしい人間にさせるひどい場所だ!」

母親は、

「行くのをやめなさい! 私が乗り込んで医者を叱ってやる! 早く病院名を言いなさい!」

と、狂ったように騒ぎ始め、母親は遠路はるばる高戸さんの新居に突撃し、怒りや不安をぶちまけた。

そんな両親を目の当たりにし、高戸さんは次第に、「私の両親はこんな人だったんだ。両親のせいで私はこんな状況に置かれていたんだ」という気付きが芽生えてきた。

「私は親孝行と称した『親の言いなりの人生』をやめて、新たな生き方の模索を始めました。そのためには嫌でも過去を振り返らなければなりません。頭がどうにかなってしまうんじゃないかというくらいに苦しい苦しい振り返りでした」

高戸さんは両親との接触を控え、今まで無視し続けていた「自分の感情」に耳を傾け、自分を大切にする生き方を一から探り、実践していく学びを始めた。