母親が嫌いな自分と母親が大好きな長女
一方で、長女は自由奔放な面もあった。川や水たまりがあればジャブジャブ入って行き、木が生えていればサルのように登った。
「ちょっと自由すぎる?」「このままでは、集団生活ができない子になってしまうのでは?」と心配になった吉野さんは、「親として、躾けなければ」と思った。
それからというもの、「信号がないところは渡っちゃダメ」「エレベーターは降りる人が先」「ゴミは分別して」「ペットボトルはきれいに洗って捨てなさい」ありとあらゆることに口を出した。
すると長女は、吉野さんの言うことを、1から100まで守ろうとした。明るくひょうきんで自由だった長女は鳴りを潜め、次第におどおどし始める。何をするにも、吉野さんに確認してから行動するようになった。
「お母さん、ご飯食べていい?」「お母さん、トイレに行っていい?」。当たり前のことまでいちいち聞いてくると、吉野さんはその度にイライラし、「そんなことまで聞かなくてもいいの! 自分で考えなさい!」と声を荒げてしまう。
「ルールを教えることは、親として当たり前のことだと思っていました。私の母も常識にうるさかったのですが、私は心の中で、『オマエの言うことなんか聞かねーよ!』と毒づき、母の言うことを一切聞かない子でした。だから子どもというものはみんな、親に反発する生き物で、親への反抗心で強くなっていくものだと思っていました」
どちらかといえば、私も吉野さんタイプの子どもだった。そしてどちらかというと私の娘も、親にあまり反抗しない。怒られてもあまり言い返さず、「ごめんなさい」と言って泣くだけの娘に、私も何度も歯がゆさを感じていた。だが一方で、優しい子に育ってくれたという喜びや誇りも感じていた。
当時の吉野さんは、「なぜこんなに私の顔色ばかり見る子になってしまったの?」「なぜ私が立てる物音にビクッとするの?」「なぜ私の言うことをすべて守ろうとするの?」という疑問が湧くばかりで、答えは見つからなかった。育児に無関心な夫に相談しようとも思わなかった。
しかし今の吉野さんはこう言う。
「母を嫌っていた私は、母にどう思われようとどうでも良かった。だから、母の言うことを無視できたのです。でも長女は、私のことを好きでいてくれた。好きだったから、頑張って私の言いつけを守ろうとした。私に認めてほしかったのです。もしもあの頃に戻れるなら、『頑張ったね!』って言って、いっぱい抱っこしてあげたいなと思います……」
しかし無情にも、時は戻らない。