クリントン政権の財務長官を務めた経済学者ローレンス・サマーズは、ハーバード大学の学長だった05年、「女性からは物理・工学分野の卓越した研究者は生まれにくい」ととれる発言をして非難を浴び、結局は辞任することになった。

男性と女性では生物としての役割が違うのだから、得意・不得意な領域があって当然であろう。確かに理系の研究者は男性のほうが数が多いので、その事実を指摘すること自体は問題がない。だからといって、競争条件が劣っていた女性が研究に向いていないと判断するのは早計であろう。

科学者志望の女性は今まで大きな障害を乗り越えなくてはならなかった。アメリカでもかつて「男の子には立派な教育を授けるが、女性はいずれ主婦になって家庭に入るのだから、高等教育は受けさせなくてもいい」と考える親がいた。学者になりたいと教授に申し出たら、「あなたは女性だから弟子にとれない」と言われた学者もいた。しかし、その一人は今やイェール大学の生化学の看板教授である。同じ条件で競争したら成果も変わってくる。

写真=iStock.com/gorodenkoff
※写真はイメージです

より業績が高いのは女性が参加する企業

男女を問わず、人間は自分の趣向や能力を伸ばして一度きりの人生を精いっぱい生きたいと願う。ある生き方をしたいと思っても、男性に都合のよい社会制度ゆえに、それができない状態は解消していくべきである。より功利的に女性参画を正当化する方法もある。それは社会の生産性を上げる観点として、両性の能力の「質」の差、多様性に着目することである。両性は世の中を違った見方で見ており、あるいは同じ対象に対しても目の付け所が違う傾向にある。視点の違いがビジネスにせよ学問にせよ、新しい地平を切り開くために役立つ。

アメリカのITリサーチ企業の調査では、意思決定に女性が強く関与する企業は、そうでない企業の業績を平均50%も上回った。その理由としては、まず「男女の多様性のある職場のほうが才能ある人材を集めやすい」からであるが、より重要なのは「多様な価値観の中で、異なるアイデアの交換が活発化する」からである。

アメリカ人の妻は私にこう言う。「今のロシア・ウクライナ戦争やハマスとイスラエルの戦争を見てみなさい。好戦的な男性がトップに立って喧嘩をしている。ドイツのメルケル前首相のように、女性が各国のイニシアチブをとれば世界は変わってくるんじゃない?」

長い人類の歴史で、狩りに出てより広くの領地を獲得しようとしてきた男性と、子どもを安全に育てる本能を持つ女性では戦争に対する見方は違う。このような視点があることで、世界は多様化して豊かになっていくのであろう。