この正月こそ「人生会議」をしてみてはどうか
重要なことにて繰り返すが、餅を喉に詰まらせた高齢者にたいする医療は、延命でなく「救命」である。これについてまで「ムダな延命治療だ」と言う人がもしもいるなら、それは暴論どころか、人道を踏み外した「見殺し論」だと断じてよい。
つまり、もしACPで「私は無意味な延命治療は受けたくない」との意思表示をしていた人であっても、つい先ほどまで元気で家族に囲まれて談笑していた直後に餅を喉に詰まらせた場合は、いかなる批判があろうと遠慮することなく救急救命医療を受けて構わないのだ。
だが、もし万が一それすら望まないとの確固たる希望がある人は、その意思を事前に明確にしておくことが、家族にとって、いや何よりも自分のために重要であることは間違いない。
こうした終末期にかんする話題は、家族といってもなかなか日常的にはしにくいだろう。しかしこういう重要な「命の話題」こそ、むしろ深刻になりすぎない場、たとえば年末年始に家族で集まったときがよい。ざっくばらんに笑いながらも、とはいえ真面目に、お互いの思いを述べ合える良い機会といえるのではなかろうか。
もちろん笑いながらといっても、餅を口に含んでいる最中には、絶対に笑わせてはならないが。