高齢者に「延命治療」をするケースは極めて少ない

人は誰しも加齢とともに身体機能が低下し、大きな病気を持っていない健康な人にも例外なく、必ず最終的には死が訪れる。だが、その自分の人生の最終局面をどのように迎えたいかという個々人の希望や意思は、それこそ千差万別だ。ACPとは、こうした個人の希望や意思を尊重し、可能なかぎりそれらに寄り添い実践するための取り組みであるともいえる。

「最期は苦痛だけはとってほしい」「自宅で最期を迎えたい」「人工呼吸器はつけてほしくない」「延命治療は望まない」などなど、考えたことがある人も少なくないかもしれない。

ただ、先述した「高齢者は集団自決せよ」「延命にかかる費用は保険適用外にせよ」などと言う人たちは、実際の医療現場で働いていないから知らないのかもしれないが、高齢者医療を主としておこなっている私に言わせれば、高齢者に「延命治療」をおこなうケースなど極めてまれだ。

厳密な意味でのACPとは言えなくとも、「無意味な延命治療はしないでほしい」という意思を明確に示している高齢者も、近年では珍しくなくなっているからだ。「厳密な意味でのACP」については紙幅の都合もあり、ここでは詳述できないが、少なくとも自身の終末期について「してほしいこと」あるいは「してほしくないこと」を事前に意思表示しておこうという流れは徐々に広まりつつある。

病院のベッドで医師の診察を受ける高齢の患者
写真=iStock.com/Chinnapong
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「餅を喉に詰まらせた高齢者」は延命の対象なのか?

ここで「餅を喉に詰まらせた高齢者」にたいして行われる医療について考えてみよう。これは「延命治療」といえるだろうか。

答えはノーだ。

詰まった餅を取り除き、気道を確保するのは「延命」ではなく「救命」だからである。

このケースにおける「延命治療」とは、その救命処置ののちに、脳が不可逆的な障害を受けて二度と自力で呼吸が不可能もしくは循環を保てない状態に陥ってしまった人にたいして継続される医療のことを指すと考えればわかりやすいだろう。

医療現場ではそのような状態になった場合、事前の本人の意思確認がとれていないときは、家族に判断を仰ぐことが多いが、状態にかんして十分な説明をしてもなお「延命治療」の継続が希望されるケースは、今や極めて少ないといえる。

しかも残念ながら、高齢者がこの状態に陥ってしまった場合は、機械を装着してもそう長くは延命できない。つまり高齢者にたいして仮に延命治療なるものがおこなわれたとしても、社会保障関係費を高騰させるほどの費用は発生しないと考えてよいのだ。