見栄ばかりで足るを知らない生活

奈良さんの母親は、いつも「お金がない、お金がない」と言い、夜中まで内職をしていた。家族旅行はほとんどなく、外食も月に一度あるかないか。父親は公務員なのに、なぜそんなにお金がなかったのだろう。

「母は、結婚前は大手企業で働いていました。わが家は田舎だけど持ち家の一軒家で、外車を2台所持しており、庭はいつもきれいな花が咲いていました。さらに、私と弟は数多くの習い事をさせられ、私も弟も私立の中学受験をさせられました。私が中学生になったあたりから、母はショッピングセンターや運送会社の裏方事務のパートに出始めましたが、自分も同じ立場なのに『ろくな人間がいない人材の墓場だ』と愚痴っていました」

つまり、わざわざ身の丈に合わない生活を選択して、自分で自分の首を締めていたということだ。

「母は、車も家もきれいで子どもも良い学校に通っているという理想を実現するために、子どもを支配していました。どこの学校に通うか、どの友達と遊ぶか、何の習い事をするか、今日何を着るか、今日は何時まで勉強するかまで、全部母に決められて反抗は許されませんでした」

いつも「お金がない、お金がない」と言われれば、大黒柱である父親は面白くないはず。だが、父親が母親の金遣いの荒さや見栄っ張りをたしなめた様子はない。おそらく父親も、精神的に母親に支配されていたのだろう。

それでもまだ奈良さんは、自分の家庭がおかしいとは夢にも思っていなかった。

もしかして、うちの親っておかしい?

奈良さんは4歳の頃からピアノ・プール・体操・習字・英語・2年ほど先取りの学習系通信教育、そしてスケートをやらされ、10歳から中学受験の塾に通わされていた。

「母は、『お前は人よりも劣っているから、人よりも何倍も努力しなければならない』が口癖でした。どれも自分からやりたいと言ったこともなければ、やめる権利もありませんでした。どんなに嫌で泣いても、親が不機嫌になるだけでかえってつらく当たられるので、だんだんと抵抗することもなくなりました」

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小学校高学年になったとき、当時は毎日ピアノの練習を2時間+受験勉強を2時間させられ、毎週のように全国模試を受けさせられていた。そして、模試でどんなに良い順位をとっても、悪い部分ばかり指摘され、なじられるばかりで、褒められたことは一度もなかった。

一度奇跡的に全国3位を取ったことがあったが、母親は、「なんでいつもこれくらい頑張らないの? 親の金をドブに捨てさせたいの?」と冷たく言い放っただけだった。

「この頃の私は、小学校の友だちが、『良い成績を取ると、親は喜んで褒めてくれる』『悪い成績を取ると、次はどうするか一緒に考えてくれる』と話しているのを聞いて、『なんで成績が下がったあの子は殴られないの?』『先生はこんなに褒めてくれるのに、なんでうちの親は褒めてくれないの?』『もしかして、うちの親っておかしい?』と思い始めていました」

しかし、まだ小学生の奈良さんには知識も語彙ごい力もなく、母への違和感をうまく言語化できないまま月日が流れていった。一度芽生えた親への猜疑心によって勉強に身が入らなくなり、成績はみるみる下降。受かるはずだった第一志望の中学校に落ちてしまった。