最悪の日
奈良さんが中学3年生になったある日のこと。その日の母親は特に虫の居所が悪かったようで、たちまち奈良さんと言い争いになった。
「母にとっては、私に当たれれば何でもよかったように思います。制服を片付けていないとか、食事の後に食器を下げなかったとか、いつも火種は日常のささいなことです。どんなに気をつけていてもどうしようもなく、弟の試験の成績が悪ければ、『お前に金をかけすぎたからだ!』などと理不尽な怒りをぶつけられることも非常に多かったです。突然過去を蒸し返されることもあり、地雷がどこに埋まっているか全く予想もつかないため、避けることは不可能でした」
中学3年生ともなれば体格は母親と同じくらいだが、44歳になっていた母親は奈良さんにつかみかかり、ベッドに押し倒す。母親が馬乗り状態になり、動きを封じられた奈良さんが怯んだその拍子に、あろうことか母親は自分の娘の首に手をかけ、こう叫んだ。
「お前さえいなければ‼‼‼」
奈良さんは一瞬耳を疑ったが、必死にもがき、母親の腕を振りほどくと、半ばパニックになりながら仕事中であるはずの父親に電話をかける。そして代表電話番号に出た人に、「奈良の娘です。緊急事態なので電話をつないでください」と震えた声で依頼。電話に出た父親は話を聞くと困惑した様子で、「わかった帰る」とだけ言った。
電話を終えた奈良さんは、家を飛び出し、近所の公園に身を隠した。
「自分の娘に手をかけるなんて、いくら気が立っているとはいえ狂っているとしか思えません。母から逃げるために外に出ましたが、暗くなった公園にはホームレスがうろついており、それはそれでめちゃくちゃ怖かったのを今でも覚えています……」
父親が帰って来た頃を見計らって家に帰ると、部屋にあった物が全部ゴミ袋に詰め込まれ、荒れ放題の奈良さんの部屋に、怒りと興奮で真っ赤な顔をした母親と、呆然と立ち尽くす父親がいた。
「学校の教科書とかカバンとか、とりあえず部屋のものを手当たりしだいゴミ袋につっこんだような感じでした。でも、母は本当に捨てる勇気はないんです。その証拠に破られたりはしておらず、それらを私に泣きながら現状復帰させることで、支配感に酔いたかったのではないかと思います。何時間も私を立たせたまま説教をしているときの母親は、それはもう楽しそうでしたから。怒って子どもを屈服させることに快感を覚えていたんだと思います」
父親がいることにかすかな安堵を覚えた奈良さんは、「お母さんをなだめてくれたのかな? さすがに仲裁してくれるかな?」という淡い期待をしていた。
しかし次の瞬間、その期待は無惨にも打ち砕かれる。
「お前、お母さんに何をしたんだ?」
感情のこもらない声で父親は言った。奈良さんは電話でも伝えたが、もう一度順を追って起こったことを父親に説明した。
![旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/c/670wm/img_9c798892e48a6a9f94c09afa80ade1dc149989.jpg)
「父を呼んでも意味はなかったですね。ただ“母がブチ切れて暴走した”ということのみが最優先されました。その後、母は私の部屋のものを捨てることをやめ、両親ともリビングへ戻り、私は茫然としながらゴミ袋を開封しました。ただただみじめでした……」
この日を奈良さんは「最悪の日」と呼ぶ。
部屋の現状復帰をしながら、奈良さんは思った。「父も母ももう駄目だ。どうにもならない」
人生最大の絶望を感じていた。
奈良さんの「家庭のタブー」はなぜ生じたのか。彼女はその地獄の淵から逃れられたのだろうか。(以下、後編に続く)