「世の乱れは君主の徳が足らないから」という考えの源泉

世の中が乱れるのは君主に「徳」が足りていないせいだという考え方は、説明するまでもなく古代中国で生まれたものだ。

中国史上における帝王たちは『論語』に「政を為すに徳を以てす」とあるように、その徳を以て人民を教化すべき存在だと考えられた。民が利己的に行動する社会は、聖天子がいた理想の古代から堕落した「小康」の世(『礼記』)とみなされたが、理論上この責任は帝王に帰せられよう。

彼らはまた、「天人相関説」の思想――政治が良くなければ災異という形で天に警告されるという考え方――に基づき、自然災害や疫病などに際して「罪己詔」という自らの過ちを反省する詔書を出した。そしてこの思想が日本に伝来して以来、多くの天皇が災異について自らの不徳のせいだと表明してきた。

「今茲に天下の大疫にて、万民多く死亡におよぶ。朕、民の父母として、徳は覆すこと能わず。甚だ自ら痛む」――『後奈良天皇宸翰しんかん般若心経』(醍醐寺所蔵)より。

昭和天皇は最後の「東アジア的帝王」だった

先に示した昭和天皇のエピソードは、このような伝統的な徳治思想の流れを汲むものだといえよう。その意味においては、そこまで独自性がある逸話でもないわけである。

しかし、昔ながらの女官制度の改革に意欲的でいらっしゃったり、新宮殿の建設に際しては「天子南面」の伝統にこだわらない姿勢をお示しになったりした開明的な君主であられた昭和天皇が、一方ではこんな旧時代的な考え方がごく自然に出てくるような人物でもあられたということは注目に値する。

先述の木下氏は、マッカーサー連合国最高司令官との会見時の昭和天皇のお振る舞いについて重光葵元外相の手記から知った後、元侍従としての体感からも「皇祖皇宗に対し更に上天に対し、絶対の責任を自覚せらるるおん方」だと考えざるを得ない――とも述べている。

現代では聞き慣れない言葉かもしれないが、前者の「皇祖皇宗」は皇室の始祖と歴代天皇のことだ。そして後者の「上天」とはこの場合、中国思想における天地万物を支配する最高神「天帝」のことに他ならない。

韓国皇帝、清国皇帝(一応「満州国皇帝」も併記しておこう)、ベトナム皇帝などが歴史の中に消えていった20世紀中に、日本の天皇は東アジア文化圏で唯一の君主となったが、木下氏の言葉を信じるならば、昭和天皇は単にこの地域において唯一残った君主というだけではなく、名実ともに最後まで残った東アジア的帝王であられたわけだ。