昭和天皇の侍従の「一生忘れられない」回想録
筆者には、いわゆる「政治とカネ」を巡る問題が取り沙汰されるたびに思い浮かべるものがある。昭和天皇の侍従だった木下道雄氏による回想録『宮中見聞録:忘れぬために』(新小説社、昭和43年)だ。
木下氏はこの回想録の「天皇とその御責任」という一節の中に、「昭和の初めの頃」に自身が体験した昭和天皇との「一生忘れることのできない」とあるやり取りについて記している。
刊行当時はきっと大勢の人が一読したに違いないが、半世紀以上の歳月が流れて、昭和も遠くなった今となっては読んだことがある人も少なくなってきているだろうから、この機会に紹介したい。
ある秋の夕暮れのことだ。内閣書記官が慌ただしく馳せつけてきて、侍従である木下氏に「一刻を争う至急の上奏書が入っているから、速やかに御裁可を得るように特に配慮していただきたい」と言って、上奏箱を手渡してきたという。
箱の中に入っていたのは「司法(現在の法務)大臣の起訴理由書」だった、と木下氏は語る。とある人物について、身分がある者ながら汚職事件に関わったから起訴したい、と司法大臣が言ってきたわけである(※大日本帝国憲法下では、高位の叙勲者を刑事事件で起訴するには天皇の裁可が必要だった)。
「ひじょうに政治的権力のあった人」
彼は「個人の名誉に関することであるから」として、汚職をした人物が誰なのか、いつの出来事なのかを明らかにしていないが、長田幹彦『人間叙情』(要書房、昭和28年)によると、これは昭和4(1929)年に発覚した「越鉄事件」のことであるという。
問題の人物について木下氏は「当時ひじょうに政治的権力のあった人」「政界の某巨頭」と別の書籍で表現している。越鉄事件の当事者といえは、佐竹三吾鉄道政務次官、小橋一太文部大臣などが挙げられるが、本当に越鉄事件の時の話であるかは定かではないので、深入りはしないでおこう。