阪急と一体となって、沿線のイメージを高め続けてきた
その6年後、1919年に宝塚音楽歌劇学校を創立し、小林自身が校長に就く。
しかし、「清く、正しく、美しく」をモットーとする宝塚歌劇は、小林のオリジナルではない。
原氏の指摘のように、三越百貨店で結成された少年音楽隊をヒントにしていたのだ(*5)。一方、少女だけで始まった点こそ、「出演者が女性だけで構成される世界でも珍しい劇団(*6)」と称する、今に引き継がれる独自性にほかならない。
宝塚歌劇団は、関西が世界に誇る輝かしい存在であり、普段づかいの電車で少し足を伸ばせば手の届く、華やかな夢の舞台なのである。
宝塚は、阪急と一体となって、沿線のイメージを高め続けてきた。
「隠す姿勢」に価値があり、意味があった
ところが、『週刊文春』が報じた「いじめ疑惑」を皮切りに、宝塚歌劇団が存亡の危機に瀕している。
労務管理や、親会社の阪急阪神ホールディングスとの関係、といったガバナンスの問題にとどまらない。ここまで述べてきた、近畿地方を代表する「阪急文化圏」そのものが崩れかねない。
「タカラジェンヌ」という呼び方に表れているように、宝塚歌劇団は、高貴さや気品だけではなく、どこか謎めいた、神秘さも示してきた。
女だけの世界、という意味ではない。背景には、宝塚内部のことを絶対に口外してはならない、とされる徹底した秘密主義がある。
そのため、ファンをはじめとする外部の人間は、退団した人たちによって語られる断片を通して、想像をたくましくするしかない。一方、秘められている部分は、100年以上にわたって魅力になってきたのである。
誰が、どんな風に教育され、どうやってレッスンを受けて、舞台に上がるのか。
世阿弥の名言「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」のように、隠す姿勢そのものに価値があり、意味がある。そうした態度を、宝塚歌劇団も宝塚音楽学校も、貫いてきたのではないか。
ここが窮地に追い込まれている。
秘められた世界は、現代の日本では「ブラックボックス」として批判されるしかないからである。
外から隠す、それによって魅惑してきた組織が、今年立て続けに炎上しているのは偶然ではないし、宝塚というシステム全体が丸ごと槍玉に挙がっているのではないか。