80年代「ある女子教育」の現場
「どーこー見てんだよー、ゴラァーー‼」
「何度も言わせんな、バカだね!」
「できないなら帰りな!」
「あんたみたいな(不美人の)女の子が、せめてお勉強くらいできなくてどうやって生きていくってのよ」
「あなたはいいのよ〜? どうせおバカさんなんだから、とにかくかわいければいいの」
小学校のとき、教室には魔女がいた。
私立小で、高学年になると男女別クラスに分かれ、それぞれ難関中学受験を目指す。冒頭の言葉は、女子クラスを担任していた女教師が日常的に口にし、女子を叱咤し鼓舞していたものだ。
11歳や12歳で、大人から胸をえぐられるような言葉を聞かされ、厳しい中学受験塾と並行して学校の大量の宿題と補習と「でき帰り(問題が正解したら帰宅できるというもの)」をこなす。
毎日ほぼ徹夜、クタクタの身体を引きずって学校に来ていた女子たちの中には、全員の前で立たされ、魔女に叱咤されている途中で恐怖から気を失って倒れたり、授業中トイレに行きたいと手を挙げることすら怖くて間に合わなかったり、卒業してからも何度も夢に見て叫びながら飛び起きたりする子もいた。
2年間の「指導」の末、成績が伸びても伸びなくても。第一志望に合格してもしなくても。今の言葉で言うなら教師のパワハラによって、生徒がそれぞれに「優秀でなければ叱られる」「できなければバカの烙印を押され人格否定される」というトラウマを齢12歳で負ったのだ。
競争せよ、そして勝て、と。
競争に勝つことの意味
団塊ジュニアど真ん中の私の学年では、同級生は女子だけで100万人超、男女で約200万人。言い方が良くないのを承知で言うなら、子ども一人の価値は200万人分の1だった。ライバルが多い時代の子どもは、競争に勝たないと自分の「価値」を証明することができず、生き残れない。そのままのあなたでいいのよと、生きているだけで愛してもらえるとかいう、平和で恵まれた社会の「無条件の愛」なんて素敵なものは知らない。
魔女に限らない。「いい子でいなさい」「可愛くいなさい」「賢くいなさい」と、いい子リストの上位順で大人たちから条件付きの愛情を受けて(あるいは受けられずに)育った、そんな子ども時代の記憶を引きずる人は少なくないはずだ。