不倫=悪が鮮明化した「不倫は文化」事件

この頃には、令和も5年が過ぎようとしている今と同じく、社会は不倫をした者に厳しくなっていた。これが発覚した者はまるで殺人や詐欺、巨額の横領といった大きな刑事事件を起こした人と変わらないかのような言いようをされることがもはや当たり前となっていた。

そもそも内輪の話である不倫が社会的な悪とされる風潮が鮮明化してきたのは、1996年の「不倫は文化」事件がきっかけだろう。この言葉は、ある女優との不倫交際報道を契機とする俳優・石田純一氏の言葉によるとされてきたが、のちに石田氏は発言そのものを否定している。

この人気俳優による発言とされた言葉は、あまりにも大きなインパクトを世間に与えた。大バッシングを浴びた石田氏は、出演番組の降板のみならず、出演依頼のオファーは途絶え、しばらくの間、表舞台からその姿を消した。

ときはバブル崩壊後、のちに「失われた10年」とも「20年」とも言われる出口のみえない不況期の入り口に立った頃である。

「不倫は文化」事件でバッシングを受けた石田純一さん(写真=Masaru Kamikura/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

日本人の多くは「バブルの恩恵」を受けていない

ほんの数年前までバブルの好景気に沸き、なかにはその恩恵を受けた者もいた。コンプライアンスの厳しい今では考えられないが、一介のサラリーマン男性が既婚と未婚を問わず女性を連れて夜の街を闊歩かっぽする。もちろん、その財布は勤め先企業だ。私的な会食や遊び事も「経費で落とす」という不心得者もいた。女性もまたこれを当然のこととして受けとめていた時代である。

もっとも、浮かれた世相、バブル経済のご相伴にあずかった者は、この頃といえども数は実際にはごくわずかである。だからこそ時代の徒花として目立っただけに過ぎない。

そして景気は好況から不況へ。世相は一変する。企業も人も財布の紐を締めてきた。不況である。カネ廻りは皆悪い。世の人々の鬱憤うっぷんが溜まりに溜まっていたタイミングで飛び込んできたニュースが、「不倫は文化」発言である。

人々、とりわけバブルの恩恵にもあずかれず、既婚の身で異性と楽しく親しく交際などできなかった大勢の人たちにとって、バブル期、トレンディ俳優として活躍していた石田氏の艶聞は、格好のネタとして捉えられたことは今でも察しのつくところだ。