「不倫で職を失う」ほどの時代になった

こうして世間の声により芸能活動を絶たれた石田氏の姿に人々は留飲を下げた。同時に「不倫は職を失う」こともあり得るというその代償と怖さが人々の脳裏に植え付けられる結果となった。

不倫は悪という風潮が今や世間の常識である。とはいえ、いくら既婚の身であるにせよ、仕事や子どもの学校関連、趣味、習いごとといったコミュニティで誰かしら異性との接点はあるものだ。そこで縁した異性と懇意になったとしても不思議ではないだろう。

問題は懇意が好意へ変わったときである。既婚の身ではあっても男と女だ。互いに高ぶった気持ちを体と体で交わす……となると、今の時代、その代償はあまりにも大きすぎる。

先でも触れた1996年の「不倫は文化」騒動以降、社会のIT化は著しく進んだ。

ごく普通に暮らす一般の人でも、SNSやネット掲示板といった場への書き込みひとつで、事の大小を問わず、何かしらの不正や不満を告発することも、されることも可能な社会がやってきた。今やパソコンどころかスマートフォンひとつあれば、プロのメディアである新聞、テレビ、出版社といった各社に情報提供できる時代である。その気になれば誰もが世論を動かせる時代だ。

セカンド・パートナーは「妥協の産物」

時代性を反映してか、メディアが不倫劇を取り上げる際、その主役となる者の属性が変わってきた。かつては話題性の高い芸能人か公職にある政治家というのが通り相場だったが、今では、たとえマネジメントサイドの立場にあるとはいえ、大手企業の役員であったり、公務員であったりする。ごく普通に暮らしている人がメディアで不倫を糾弾される時代である。

屋外で一緒に歩いているカップルの写真を撮る男
写真=iStock.com/AndreyPopov
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こうした世相から、社会的立場を問わず不倫をするには大変なリスクを背負うことは誰もがわかっている。しかし長年、人生の荒波を渡ってきた大人ならわかるはずだ。

異性への好意というものはみずからが意図していなくても抱いてしまうところがある。つまり自分の意思でコントロールできないものだ。

それでもひと度抱いた好意を断ち切れればいい。それができないとなると誰からも不倫といわれないエクスキューズが必要だ。そこで消去法的に現実的な解決策として浮かび上がったのが、互いに既婚の立場を崩さずプラトニックなままで深い交際をするセカンド・パートナーという関係であろう。

大人の男女間だからこそ成り立つ妥協の産物といったところか。