多弱の中で他の野党への「甘え」はなかったか
野党を力強く牽引すべき立場の立憲の党内に「甘え」はなかったか。選挙区で他の野党に候補を降ろしてもらい、楽に勝ち上がろうという姿勢はなかったか。勝ちを見込めない「保守王国」の選挙区を、他の野党に押し付けようとする姿勢はなかったか。
野党の「多弱連合」状態を脱するには、第1党の立憲が多くの自前の候補を擁立し、自らが野党陣営の中核となる「構え」を作らなければいけない。そこで初めて、立憲が野党内で求心力を取り戻し、協力関係の構築もうまくいく。
泉氏がどこまで意識していたかはわからないが、5月の「選挙協力しない」発言には、こういう意味があったと思う。
そして夏以降、立憲は中央政界であまり注目されない地方選挙で、少しずつ結果を出し始めた。
筆者が初めて潮目の変化を感じたのは、8月27日投開票の神奈川県寒川町長選だ。立憲民主党が推す現職と、自民党が推す新人らによる「与野党対決」で、立憲が推す現職が勝利した。
秋の補選で1勝、支持率も維新に並ぶまでに回復
1週間後の9月3日には東京都立川市長選で、立憲が推す元都議の新人が、自民党が推す新人(こちらも元都議)ら4人を抑えて初当選を果たした。この市長選に2人の都議が立候補したことで発生した東京都議補選立川市選挙区(10月15日)は、自民、立憲、都民ファースト各党が公認した新人による三つどもえの戦いの結果、都民ファと立憲が議席を獲得、自民の新人が落選した。
そして臨時国会の開会直後の10月22日に行われた衆参2補選。参院徳島高知補選で立憲など野党各党が支援した広田氏が、自民公認の新人を破った。同日行われた宮城県議選では、自民党が選挙前の議席を6減らすなど自民・公明両党で県議会の過半数を割った一方で、立憲は公認候補10人が全員当選した。
維新は秋の衆参2補選で「勝てない」とみて候補を擁立しなかった。結果として、実際に「1勝」した立憲など他の野党が注目された。宮城県議選では春の統一地方選同様「維新が初議席」を得たが、そのニュースは「立憲全員当選」の後景に退いた。
維新には大阪万博の迷走に対する批判の影響もあったのか、各種世論調査で維新に離されていた立憲の政党支持率はここへ来て上向き始め、中には維新と並び、追い越す調査も出てきた。
「支持率が低いから選挙に負ける」のではない。「選挙に負けるから支持率が低い」のだ。裏を返せば「選挙に勝てば支持率が上がる」。そのことを改めて痛感した。
毎年春と秋にある統一補選。「春」と「秋」との間に、野党をめぐる空気は明らかに変わっていた。