人は嫉妬を覚えると、人生を破壊するような行動に出る
ところが、それを慶応大学の先輩に相談すると、「夫婦で教授など、とんでもない」と大反対でした。
幸い浜松医大には好意的な先生方もいて、妻は教授になることができました。
妻や私が名誉教授になった時も同様です。名誉教授になるための年数が足らず、先輩方に相談しましたが、全員反対でした。この時も、学長が学則の付則を活用したりして、夫婦ともども名誉教授になれるようにはからってくれました。
直接的な利害関係のない先輩方が反対した理由は、嫉妬以外には考えられません。嫉妬はなんと恐ろしいものかと、私は身震いしました。
なぜなら、妻は、あの機会を逃せば、一生助手のままだったと考えられるからです。私も名誉教授になれなければ、その後の職はありませんでした。
つまり、人は嫉妬を覚えると、ちょっと恥をかかせるなどというのでなく、人生を破壊するような行動に出るのです。
もちろん、私どもに対する批判がすべて嫉妬によるなどとは思っていません。私にも間違ったところや欠点が多々あるからです。しかし、嫉妬の恐ろしさを知ってからは、他人がある行動に出た時、裏に嫉妬がないかと警戒するようにはなりました。
ねたみで幸せになる人間は誰もいません。
嫉妬心をうまくかわすのは、自分の幸福、相手の利益です。
嫉妬されても平穏につき合う
アラブの格言
私は自分に自信が持てず、劣等感に満ちた若い日々を送りました。
歌人、石川啄木の「友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ」という歌を見ると、今でも、つらい日々がよみがえります。
劣等感を克服し、他人にばかにされないために、私は必死に努力しました。研究に没頭し、本を書き、講演もしたのです。
そのように「自分はまだダメだ」と努力していると、周囲の人には脅威に映り始めるようです。
私は、知らないうちに嫉妬の対象になっていました。
人は、自分が望んでもいないことや、努力していない分野でも、成功した人、努力を続けている人には強い嫉妬を抱くのです。
しかし、ある程度有名になってからは、嫉妬を分析できるようになりました。そして、人は思わぬことを嫉妬するのだから、嫉妬されても、その人を遠ざけないこと、嫉妬されていることを知りつつ、つき合うことが大事だと思うようになりました。