団塊の世代の一斉退職後に起こったこと
この構図には、もう一つ隠れた要因があるとわたしは考えている。
それは「2007年問題」である。
2007年問題とは何か。2007年は、数の多い団塊の世代が大量に企業から退職するようになった年である。当時はそれを「団塊の社員たちが持っていたさまざまなノウハウやスキルが失われる」という文脈で語られた。しかし彼らの大量退職は、いまでは別の意味も持つようになっている。
2007年以降に何が起きたのかを時系列で見よう。
2008年。リーマンショックが起きて、「右肩上がりの成長」への期待がまたも失われる。
2011年。東日本大震災と福島第一原発事故が起き、放射能パニックが広がり、放射能デマにだまされる人が多発する。同時に、これをきっかけにツイッターが日本社会に一気に普及する。
2012年。第2次安倍政権が成立。安倍政権は戦後の政治体制を一新し、安全保障や憲法改正などそれまでタブーとされていた政策課題に強く踏み込み始める。
2007年に退職した団塊の世代は、2011年頃からツイッターに大量に流入するようになる。高齢者と思われるようなプロフィールをよく目にするようになったのは、この頃からである。彼らが福島第一原発事故と第2次安倍政権に不安を感じ、そして青春時代の革命運動への憧れを再燃させ、それが彼らを「抵抗」「抗議」へと目覚めさせ、過激化していったのではないだろうか。
SNSは団塊の世代の青春回顧ツール
これは定量的に調べた結果ではなくあくまでもわたしの推測でしかないが、時間的な整合性はある。最近の政治的に過激なツイッター投稿の文面には「日和見主義者」「政権のポチ」「首を洗って待っていろ」など現代ではほとんど見ない、まるで昔の過激派の機関紙の言いまわしのような文言さえ使われるようになっている。ツイッターだけを見ていると、まるで1970年代の内ゲバ闘争を眺めている錯覚に陥るほどだ。
要するに現在のツイッターは、団塊の世代の青春回顧なのである。そしてこういう青春回顧運動を、革命運動からかつて人材を大量に引き受けたマスコミが支えるという奇妙な構図ができあがっているのが、2020年代の日本のメディア空間なのである。
しかしこのようなゆがんだ構図は、いずれは終わる。団塊の世代は後期高齢者に達して、社会から退場しつつある。新聞やテレビも、以前ほどの影響力は持てなくなってきている。若い人たちの穏健で良識的な社会運動の広がりによって、今後はメディア空間も少しずつ改善されていくだろう。そう期待したい。