「大前提」を動かせば結論が変わる

さらに大前提を動かし、「子育ては両親の義務と同時に国の義務である」という大前提に立つ場合はどうでしょう。国が、両親の子育てを応援するために、子ども手当を出したり、保育所を充実させたりする政策は、論理の帰結として、国の当然の義務として評価できることになります。

【大前提】子育ては両親の義務である

大前提を動かす。

【大前提】子育ては両親の義務と同時に国の義務である

大前提が動いたことにより、
【小前提】子どもが生まれた
【結論】両親が共同で子育てをする
【結論】国も両親の子育てを応援する

「大前提」「小前提」「結論」に切り分ければ、論理の破綻が見抜ける

他方、次のように理屈そのものが破綻している場合もあります。

【大前提】赤信号は「止まれ」のサインである
【小前提】信号は「青」である
【結論】止まる

ここで導き出されている結論がおかしいことは、誰の目にも明らかでしょう。

これは先ほどの例に見られるような価値観の違いからくる違和感ではなく、論理の破綻です。こんな稚拙な論理破綻には誰も陥らないと思われるかもしれませんが、じつは意外とよくあるのです。

今はSNSで誰もが意見を発信できる時代であり、さまざまな言説に触れる機会に事欠きません。感情的なものは除くとして、いかにも筋の通った「理屈」然としているものに出合ったときには、「大前提」「小前提」「結論」に切り分けてみましょう。これが議論力のトレーニングになります。

ある言説に何かしら違和感をもったら、「例外的事情を取り込むべきか」「大前提を動かすべきか(相手の価値観を疑うべきか)」、はたまた「論理破綻してはいないか」と考えてみてください。こうしたトレーニングを積み重ねるごとに論理的思考が身につき、自ずと議論力も磨かれていきます。

相手の「大前提」を疑う――その三段論法は正しいのか

三段論法の結論は、おもに大前提に左右されます。小前提が同じでも、大前提の中身によって結論が変わるのは、前項で挙げた例でおわかりいただけたでしょう。

「結論の違い」は、たいていは「大前提の違い」から生じるといえます。さらにいえば、大前提の背景となっている「価値観の違い」ゆえに人は異なる意見をもち、ときに対立するわけです。

わかりやすく、旧統一教会など社会的に問題行動が指摘される宗教団体を例に、こうした集団が用いる代表的な三段論法をいくつか挙げておきましょう。