反論法②「大前提」を動かす

もう1つの反論法は、三段論法の「大前提」を動かすことです。

誰かの意見に違和感を覚えたら、その人の大前提を疑い、動かすことで、別の納得できる結論を導き出すことも考えられます。

先ほどの例でいうと、「子育ては両親の義務」とは異なる「子育ては母親の義務」「子育ては国の義務」という立場をとっている場合、議論は理屈そのものではなく大前提をめぐるものになります。

「子育ては両親の義務である」という大前提が違えば、「子どもが生まれた」という小前提から導かれる結論は、当然ながら「両親が共同で子育てをする」とは別のものになるはずです。

では、試しに「子育ては母親の義務」という大前提のもとでは、どんな結論になるでしょうか。「子どもが生まれた」という小前提を入れると、結論は「母親が子育てをする」となります。

【大前提】子育ては母親の義務である
【小前提】子どもが生まれた
【結論】母親が子育てをする

これは今の時代にはそぐわない結論なので、多くの方が違和感を覚えるかもしれませんが、理屈は通っています。その意味においては「正しい」といえるわけです。

2人の男性の間の意見の相違を仲介
写真=iStock.com/FatCamera
※写真はイメージです

「理屈が通っているかどうか」だけで判断してはいけない

前に、意見とは、価値観+理屈であると述べましたが、ここまで読んでみると、その意味合いも、より深く理解できるのではないでしょうか。

大前提を決定づけているものは価値観です。違和感を覚えて、大前提を疑い、動かすことを試みるのは、相手がよって立つ価値観に挑むことといってもよいでしょう。

【大前提】子育ては母親の義務である
【小前提】子どもが生まれた
【結論A】母親が子育てをする

結論Aに納得できない。

大前提を動かす。

【大前提】子育ての義務は両親が等しく負う
【小前提】子どもが生まれた
【結論B】両親が協力して子育てをする

違和感を覚えるけれども理屈は通っている場合、理屈がすべてだとしたら、違和感に蓋をして受け入れなくてはいけないことになります。正反対の結論がいずれも破綻なく完結していたら、「理屈が通っているかどうか」だけでは判断がつきません。

やはり「自分はどの立場をとりたいのか」という価値観がなくては「意見」にならないのです。言い換えれば、絶対的な正解が存在しない以上、「意見」とは「どんな大前提のもとで理屈を立てたいのか」という自分の価値観にかかっているわけです。