殺した相手さえはっきりしない謎多き事件の顚末

しかし、その割に事件の詳細については不明な点が多い。動機はおろか、斬った相手さえはっきりしていないのだ。

木村黙老の『聞まゝの記』によれば、被害者はさる大名の庭に関する普請を請け負った町人だという。工事には莫大な費用がかかると知った大名は念のため源内に見積もりさせた。仕様書を見た源内は自分なら費用を大幅に節減できると豪語、仕事が源内の手に移りそうになったため、町人と関係役人との間で争いになった。その後、源内と町人が共同で請け負うことで和解が成立。その仲直りのため役人も交えて源内宅で酒宴がもうけられた。

源内の斬新な構想に役人も町人も感心し、宴は大いに盛り上がった。役人は途中で帰ったが、町人と源内は最後まで飲み明かし、泥酔して二人ともそのまま寝てしまった。翌朝起きて、設計や見積もりの書類がないのに気付いた源内は、町人が盗んだのではないかと疑って問い詰めた。町人は身に覚えがないと反論、口論の末、逆上した源内が刀で斬りかかった。町人は深手を負いながらかろうじて逃げ出したという。

相手を追ううちにふと我に返った源内は、あの深手ではおそらく助かるまい。自分は人殺しの罪は免れないから、自殺するしかない。そう思い定めて、身の回りの整理を始めた。するとなんと、盗まれたと思った書類が手文庫から出てきたではなか。「しまった!」と思ったところで、後の祭り。罪を悔いて切腹しようとしたが、駆けつけた門人たちに止められ、それで自首して出たのだという。

写真=郵政博物館提供
「エレキテル」(平賀家伝来)郵政博物館収蔵

事件を起こした頃の源内は「乱心」していたのか

この殺傷事件の動機については、これまで源内の乱心によるとの説が主流だった。たしかに彼は晩年、乱心の言動があったと伝えられている。

そのひとつは弟子の森島中良を楽屋裏で血相変えて罵った事件である。凶宅に引っ越した頃、中良が合作した浄瑠璃が上演され、大当たりした。これに対し、源内の戯曲が不評だったため、弟子に嫉妬して八つ当たりしたのだと見られている。ほかにも弟子や知人に理不尽な怒りをぶつけることが度々あったという。こうした八つ当たりに近い怒りは、晩年の著作にも繰り返し現れている。