源内は才能を浪費した「早すぎた近代人」だったのか

筆者は源内の評価についてこのように記した。

「ある者は、山師といい、ある者はあまりの多才ゆえにまとまった業績を残せなかったと才能の浪費を惜しむ。ある者は早過ぎた近代人と呼び、また、偉大な万能人としてレオナルド・ダ・ヴィンチと、大発明家としてエジソンと並び称す。この評価の多様さがそのまま源内という人物の多才さと結びつく」

現代から見て源内の業績はどう評価されるだろうか。

まず科学の分野における業績だが、特筆すべきは大方の評価どおりやはり本草学に関するものである。上野益三氏も指摘するように、その関心は旧来の本草学にとどまらず、西洋の博物学や自然誌に向かって開かれており、近代の植物学や鉱物学にまで引き継がれるものだった。

一方、西洋近代科学の根本にある究理学(物理学)についてはどうだったか。これについては、コペルニクスの地動説やガリレオやニュートン力学への理解を示した記述は見当たらない。電気学についても、理論的・実験的に探究したという事実はなく、評価の対象にはならないだろう。

科学と国益を結びつけて考えた源内ならではの先進性

火浣布(石綿)、芒消ぼうしょう、タルモメイトル(寒暖計)、歩数計、エレキテルなどを製作したからくり師、発明家としての業績はどうだろうか。これについては、乏しい情報だけで原理を見抜き、実作してしまう理解力と行動力は称賛に価するが、やはり西洋の受け売りだった点は否めない。レオナルド・ダ・ヴィンチやエジソン、ニコラ・テスラなどの独創性には、やはり一歩も二歩も譲るだろう。

むしろ彼の真骨頂は、本草学を産業と結びつけ、田沼意次の重商主義政策を具現化しようとしたこと、科学と国益を結びつけて考えたこと、さらに進んで科学・技術と産業を結びつけようとした点にあるだろう。

それによって源内は19世紀の産業技術社会をも先取りしたのである。この点に限れば日本のエジソンどころか、エジソンよりも先行していた。

ただし、エジソンは成功して産業界の寵児になったが、一方の源内の事業は大半が失敗に終わった。この原因は彼の移り気な性格にもあっただろうが、やはり時代や環境の違いが大きかっただろう。