悲しい親子

兄から父親の訃報を受けたとき、小栗さんはその声の冷たさに驚きを隠せなかった。

「私の故郷は、車が無ければ生きられないほどの田舎町です。情緒不安定な母の気分転換や通院、買物に車が無ければほとんど何もできません。遠方に住んでいる私は、兄に両親を託していました。兄に対して、料理や洗濯などの家事は期待していませんでしたが、親の買物や送迎くらいならやってくれるだろうと思っていたのです。しかし兄は、全くしていませんでした」

その時の電話で兄は、両親があまり食事を摂っていないことを知っていながら、「放置していた」と言った。

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「兄からは後悔や罪悪感は全く感じませんでした。兄にしてみれば当然かもしれません。父は、私はかわいがってくれましたが、兄には暴力を振るっていましたし、母は、私はかわいがりませんでしたが、兄は溺愛のあまり、女性との交際をことごとく妨害。そのうえ、常に負債を抱える両親を、私たち兄妹は強制的に金銭的に援助させられてきました。憎しみに近い感情があってもおかしくないと思います。それでも私は兄に、他の人にはない冷たさを感じました」

同時に小栗さんは、ここ数年ほど両親のサポートができなかった自分を責めた。実は父親が亡くなる数年ほど前、小栗さんは夫に、実家に帰省することを禁止されていたのだ。

小栗さんとの結婚後、夫は小栗さんの両親に、知れば知るほど不信感を募らせていた。約3年前、高校生の子どもの夏休みに、小栗さんの実家に3人で滞在したが、その際に、小栗さんの父親が泥酔して倒れても平気で放置する小栗さんの母親を目の当たりにした。そのうえ夫は、小栗さんの実家に届いた借金の督促状を見つけてしまう。あまりの惨状に絶句した夫は、ついに小栗さんに、両親と距離を置くよう命じた。その間の父親の死だったのだ。

通夜・葬儀のため、小栗さんが帰省すると、母親は浮浪者のようになっていた。何日も入浴していない様子で、髪は固まっており、ボタンが取れたボロボロのカーディガンを着て、安全ピンで前を留めていた。かわいがっていた野良猫たちの糞尿はそのまま放置され、悪臭を放ち、話しかけても目の焦点が合わない。

小栗さんは母親を入浴させ、食事や飲み物を与えた。少し元気になった母親は、繰り返しこう言った。

「私がすぐに助けを呼んでやったんだ! 私がお父ちゃんの面倒を全部見てやっていたんだ! お父ちゃんは風呂に入らんでも良かったんだ!」

小栗さんは、やるせない気持ちになった。

「兄は、両親のために1円もお金を出していませんでした。パンの1つも、飲み物1本さえも……。一方母は、一生懸命、自分に非が無いことを訴えていました。私は母の言葉を聞いて、『これは母の本当の姿ではないんだ。きっと認知症のせいなんだ』と思わずにはいられませんでした」