小栗家のタブー

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。

小栗さんの話には度々、「家」「名家」「一族の恥」などという言葉が登場するが、古い慣習によって思考停止した状態の祖母や曾祖母、父親の両親たちは、みな短絡的思考に陥っていたと言っても過言ではないだろう。古い慣習が残る地域で「家」というプライドに固執した小栗家は、社会から断絶・孤立していたと思われる。もしかしたら、一族全体が断絶・孤立していたかもしれない。

そんな家庭で育った小栗さんは、調理実習のエピソードの中で、「少しでもまともに暮らしたい一心で」と話したように、小学校高学年の頃には自分の家庭を「まともじゃない」と分かっていた。それは兄も同様で、おそらく2人はそれぞれに自分の家庭を「恥ずかしい」と感じていたに違いない。

一方、人身売買のような形で婿入りし、祖母や母親から小作人扱いされていた父親は、なぜ亡くなるまで逃げ出さなかったのか。

閉ざされ、孤立した家庭では、しばしばまともな思考はフリーズする。小栗さんによれば、父親は生まれ育った家庭で実の母親を早くに亡くし、継母や祖父母から奴隷のように扱われて育ったため、半ば洗脳状態にあったのだろう。だから憎んでいてもおかしくない祖母の介護や、母親の世話ができたのではないか。祖母が亡くなったとき、小栗さんから見て父親が悲しんでいたように見えたのは、小栗さんが祖母から受けたものよりも想像を絶するほどの重圧を与え続けてきた相手を失ったことで、精神のバランスを崩していたのではないだろうか。

昭和40年代頃まで日本の田舎に存在したと言われている「おじろく・おばさ」という特殊な家族制度があるが、父親のこの制度を彷彿とさせる。生まれ育った家で人間扱いされなかった父親は、婿に入った家でも同様に扱われ、祖母や母親と共依存関係に陥り、“身の程をわきまえていた”から最期まで逃げようという発想もなく、病院へ行くことも望まなかったのではないか。

「母はおそらく、何らかの先天的な病気か障害があるように思います。でも、外では人当たりが良く、頭の回転も早かったりするので、周囲は気付かなかったのではないでしょうか。祖母だけは分かっていたのかもしれませんが、結局一人娘のわがままで済ませてしまったのかもしれません」

車椅子とシニア女性
写真=iStock.com/byryo
※写真はイメージです

タブーのある家や一族に生まれ育った子どもがタブーから逃れるには、小栗さんや兄のように家を出ることが、子ども自身にできる最善策かもしれない。しかしそれでは手遅れになる場合も考えられる。できれば子どもに関わる学校や近所の大人が注意を払い、手を差し伸べられるタイミングがあれば見逃さないことが、タブーのある家庭の子どもを外から救う唯一の方法だろう。

毒親育ちの小栗さんは現在、ブログに自身の経験を吐き出すことで、解毒作業に勤しんでいる。

「旦木さんの取材に応え、今まで心の底で思い出さないようにしまいこんでいたことを文字に起こしたからか、気持ちの整理がついて、随分心が楽になっています。傷ついてしまった気持ちはもう癒えることはないですが、心のリラクゼーションのマッサージを受けたような感じです」

「傷ついてしまった気持ちはもう癒えることはない」という言葉からわかるように、毒親につけられた子どもの傷は、傷をつけた本人と距離を置いても、年月が経っても、傷をつけた本人が亡くなっても残り続ける。

“名家の分家”というプライドを持ち、一人娘をわがままに育てた祖母。そして長男を溺愛するあまり、交際を妨害し続けた母親。彼女たちは一体、何を守ろうとしていたのだろうか。

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