「やればできる」はおまじないと同じ
こんな会話をしたのは、相当前のことでした。相談してきた彼は、観察力もあり冷静です。その後も、いいリーダーとなっていきました。
それにしても、「やればできる」というのはたしかに妙な言葉です。よく耳にするけれど、冷静になって考えるとよくわからない言葉の典型ではないでしょうか。
先に言ったように、「そもそもやるべきことをしない」状態の人に対して鼓舞する言葉のはずです。
具体性はありませんから、いわば精神論の一種です。だから、せいぜい中学生くらいまでに説教する時の「おまじない」としてならいいかもしれません。
しかし大人の社会でこのような言葉が必要だとすると、それは相当にまずい状況なのではないでしょうか。
「為せば成る」は当たり前なのか
そして、この言い方をさらに立派にした言葉があります。それが「為せば成る」でしょう。こちらはより厳めしく、しかも出典もはっきりしています。米沢藩主上杉鷹山が家臣に示したものとして伝えられています。
そのために、訓話などでもよく引用されますが、結局「よくわからない」ことについては同じようなものではないでしょうか。
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」
やはり、「やればできる、やらないからできない」ということでしょう。ちなみに「為せば成る」を辞書で調べてみると、その中には「やればできる」と書いてあるものもありました(スーパー大辞林3.0)。同じ意味といっていいわけです。
「為せば成る」については、武田信玄が同じようなことを言っていますし、中国の『書経』を出典とするなどの説もあるようです。その辺りを探ると、鷹山の「為せば成る」とはややニュアンスも異なるようですが、ここではそのことに深入りはしません。
それよりも、なぜそのような言葉が当たり前のように広まっているのか? この辺りのことを、もう少し考えてみましょう。