「とにかくやればできた」昭和
精神論というのは、とかく具体性がありません。それでも、それなりに広がったのには理由があると思います。そこで、この「やればできる」をちょっと掘り下げてみようと思います。
手がかりは「やってもできない」時にどうするか? という着眼です。
これは、実際によくあるのではないでしょうか。同じ仕事に複数の人間が取り組めば、段々と差がついていきます。誰にでも得手不得手があるのだから、当たり前です。
それは子どもの体育と同じです。一斉に走り出せば差がつくし、同時に懸垂をすれば段々と脱落していく。そういうことが、さまざまな局面で起こります。
単純なようですが、もともと持っている能力は人それぞれです。それに応じて仕事を割り当てていくことが組織の基本です。
だから、誰に対しても同じように「やればできる」と言って、みんなが「やった」としても差はつきます。それでもとくに問題がなかったとすれば、こんな理由があったからだと思うのです。
・そもそも、「やる」ことの内容が、それほどスキルを必要とせず頑張ればよかった。
つまり、いわゆる「昭和の職場」であれば、通用していた発想だと思うのです。
営業職であれば、とにかくアポをとって訪問していく。人によって差はつくけれど、コツコツ頑張ればいくつかは成約できる。そして、どうにか「同じ船」に乗ることができたわけです。
それが、今の職場では同じようにはいかなくなっています。
そして、「やればできる」だけではどうしようもないことを直視した企業は、きちんと未来を拓いていくと思っています。
それは、日本の働き方の変化と密接に関わっていくと考えます。
「できることをやる」職場に
近年、企業の雇用形態をめぐって「メンバーシップ型」と「ジョブ型」という二つの方法が話題になることが多くなりました。
多くの日本企業がおこなってきたのが、いわゆる「新卒一括採用・終身雇用」を核としたメンバーシップ型です。正社員として一つの企業のメンバーになれば、何らかの形で定年まで仕事が与えられる仕組みです。ただし、その組織の中でどのような仕事をするかは、基本的には会社が決めます。
ジョブ型は、「こういう仕事をする人を求めています」という求人が起点になります。その仕事で実績のある人を採用しやすくなりますし、学校での専攻などを活かして仕事をしたい人にはやりがいを感じやすいでしょう。これは、欧米では主流といわれています。