「創作だとわかった上で引き込まれる」のが優れた作品

歴史小説家と歴史家を対立軸で捉える向きが少なくないのですが、それは大きな間違いです。史実を確定していくのが歴史家の仕事であり、史実の見方を提示するのが歴史小説家の仕事です。両者は対立などしなくても、お互いに協力しながら共存できるはずです。

今村翔吾『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)

これは現実の警察官と警察小説を書く作家の関係を考えればよくわかります。

警察小説に書かれている物語には、事実もあれば脚色されたエピソードもあります。現職の警察官からすれば「いやいや、それは盛りすぎでしょ」とツッコみたくなる部分も多々あるはずですが、警察官が警察小説の書き手を名指しで批判したという話を聞いたことがありません。警察官は、警察小説をエンターテインメントとして理解し、許容しています。

小説家が提示するのは一つの見解です。その中には想像や脚色も多分に含まれています。読者は、あらかじめそういうものだと理解した上で読む必要があります。創作だとはわかっていても、それを忘れてしまうくらいに引き込まれてしまうのが優れた歴史小説であり、司馬遼太郎はそのレベルの作品を残したということなのです。

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