一人ひとりの個性が引き立つ「モー娘」の登場

1990年代から「みんなが知っている楽曲」が減って、視聴者の好みの細分化が起き、テレビから徐々に歌番組が減っていく。それに伴って、ソロアイドル歌手が自分をアピールする場をなくして、今度はテレビ番組がアイドルを作るようになっていく。1985年にフジテレビの番組で誕生したおニャン子クラブをひな形にするアイドルグループの時代に移行する。

その中でも1997年にテレビ東京の番組から誕生したモーニング娘。(以下、モー娘)は、メンバー一人ひとりが伝統型アイドルを逸脱した奔放な言動が受けて、国民的な人気を獲得した。

人気の要因は、デビュー曲を除くほぼ全楽曲をつんく♂(シャ乱Q)が手掛け、音にもダンスにもピンク・レディーの流れをくむ、派手でキャッチーなわかりやすさがあったことだ。ピンク・レディーが子供の人気を獲得して国民的スターになったときと似た軌跡を辿っている。

ただし、ピンク・レディーがあくまでデュオとして売っていたのに対して、モー娘はオーディションの過程にスポットを当て、最初から一人ひとりの個性を引き立てることに配慮している。おニャン子クラブにも共通した部分があるが、おニャン子クラブに目立った「緩さ」がさほどなく、陰では必死でエンターテインメント性を追求している。

AKB型は国際市場では通用しなかった

モー娘で特筆すべきは、フランスやスペインを中心に起こった日本ブームに乗って、ヨーロッパの日本好きな若者にも人気が出たことだ。韓国エンタメがこの現象の重要性に気づき、K-POPとして世界市場に打って出るきっかけとなっている。

その一方で、日本ではまたも秋元康が2005年にAKB48を立ち上げて、のちに国民的アイドルグループに育て上げている。AKB48はもともと秋葉原を拠点とするローカルグループだったが、テレビでも活躍して全国区になっている。さらには、姉妹グループも各地で立ち上げられて成功し、のちにルックスを重視した坂道シリーズが立ち上げられてテレビを中心に活躍している。

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しかし、秋元を中心にしたチームがアジアを中心に立ち上げたAKB型の海外ローカルグループは、インドネシアのJKT48以外は成功したとは言えず、世界市場ではブラックピンクやTWICEなどを輩出したK-POPとは明暗を分けている(この点についてはプレジデントオンライン「なぜNiziUは世界を興奮させるのか…日本のエンタメが『韓国に完敗』した理由」を参照)。

モー娘が作った世界市場の道をAKBが切り拓けずK-POPが独占してしまった理由はいくつかあるが、最も重要なのは、AKBが伝統的アイドルの形式である「未成熟の一生懸命」を超えるものではなかったからだろう。アイドルは応援するという楽しみ方をするエンターテインメントであるが、それはあくまで日本独自のものであり、国際市場では通用しなかったのである。