社運を賭けた戦いを任せられるのは内田しかいない
「内田しかおらんのや!」
与えられたのは10月1日からの1週間。スペースの関係で、両社ともに商品を陳列できるのはショーケース一つだけ。
何が何でも勝たねばならない。
さすがに女性下着の販売を男性がやるわけにはいかないが、腹は決まっていた。
内田美代に任せようとしたのである。
9月29日、いつものように市内のセールスをして帰ってきた後、幸一は内田を呼んだ。
「あさって午後から、高島屋さんで新築開店セールをやる。青星社と競争や。その結果でうちが納入できるかどうかが決まる。ついては君に販売員として立ってほしいんや」
ところが内田は、簡単に引き受けてはくれなかった。
内田に取材した際、彼女は当時の心境を思い出したらしく、興奮気味にこう早口にまくし立てた。
「だって売り子ってね、私らの時代、水商売みたいなイメージやったんです。だから絶対無理やって言うたんです!」
60年以上前の出来事だというのに、そう語る彼女の表情は、本当にいやだったことがリアルに伝わってくるものだった。
だが幸一は、では他の女性にやらせようとは言わなかった。
「内田しかおらんのや!」
この一点張りであった。
幸一の強みは人を見抜く力である。社運を賭けた戦いに、すべてを任せられるのは彼女しかいないと確信していたのだ。
内田は必死に固辞したものの、最後には折れた。
「あの時の塚本さんは、“断れない雰囲気”を持ってはりました」
内田はさっきまでの興奮気味な口調とは一転して、いかにも懐かしそうな表情をしながらしみじみとそう語った。
現在価値にして4万円はする高級品
こうして昭和25年(1950)10月1日、青星社と対決する日の朝を迎えた。
高島屋京都店1階の入ってすぐのロビーに両社の売り場が設けられている。今で言えば宝飾品や香水・化粧品などが並んでいる場所である。いかに高級品扱いだったかわかるだろう。実際、当時の商品は高いものだと1000円ほどもした。公務員の初任給が5000円という時代だから、現在価値にして4万円はする計算だ。
商品の扱い方も違う。今のようなワゴン販売やつり下げられているのではなく、ショーケースの中にうやうやしく並べられていた。
売り場には内田が立っている。高いハイヒールを履いて背筋をピンと伸ばし、凛としたいでたちだ。
一方の幸一は目立たないよう背後に控えている。男性がいると女性は下着が買いにくいからだ。女性客の眼に極力触れないようにしているため、こそこそした動きになるのはやむを得なかった。