ベンチャーが生まれやすい土壌を作るため政界へ
僕の失敗談と言ったら、政治の話もしておかなくてはなりません。
僕が2010年の参議院選挙に立候補したとき、おそらく「タリーズの松田公太がなぜ?」と思われた方が多かったのではないでしょうか。立候補のきっかけは、知り合いだった浅尾慶一郎衆議院議員(当時はみんなの党所属)から「一緒に日本を立て直そう」とお誘いを受けたことにあります。
国会議員になれば、経営者時代よりも自分のレピュテーション(評判)が下がってしまうことは目に見えていました。ですが、お誘いを受ける前の2年間をシンガポールで暮らしてみて、金融都市、観光都市として目覚ましく発展していくシンガポールの姿に、僕は圧倒されていたのです。
そして、日本がアジアで確固たる地位を築いていくには、法人税の見直しや、ビザや移民制度の見直しなどをいますぐにでも実行しなくてはならないと考えていました。選挙期間中にインターネットを使った情報発信ができないといった前時代的な規制もたくさん残っていましたから、そうしたものを一掃して、もっともっとベンチャーが生まれやすい土壌を日本に作らなくてはならないと思っていたのです。
たとえ自分の地位や名誉や収入が下がることになったとしても、参議院の1期6年間は、「日本をよくするため」のボランティアだと思って徹底的にやってみよう。そんな決意を固めて、みんなの党から出馬することにしたわけです。
新人議員がベンチャー政党を立ち上げた理由
無事初当選を果たしましたが、残念ながら、みんなの党は2014年に分裂して解党してしまいました。そこで、2015年にアントニオ猪木さんたちと一緒にベンチャー政党「日本を元気にする会」を設立して、代表に就任することになりました。
なぜ、「日本を元気にする会」を立ち上げたかといえば、いままでにないやり方で国民の意見を取り入れる政党を作りたかったからです。一言でいえば、「直接民主型政治」にチャレンジしたかった。
たとえば、国論を二分するような重要法案については、国会議員や有識者、そして党員とネット上で議論して、その結果を「日本を元気にする会」に所属する議員の(国会での)投票行動に反映していく。そんな仕組みの導入にチャレンジしました。他にも、安保関連法案に対して1000人を超す党員がネット上で意見を表明するといったことにもトライしました。
所属議員の離党によって「日本を元気にする会」は政党要件(現職国会議員が5人以上所属すること)を失ってしまいましたが、安保関連法案に一定の歯止めをかけるなど、ある程度の結果は残せたと自負しています。