世界のクラフトビールを支えるホップへ
キーマンになったのは、サッポロの研究者・糸賀裕。80年代、チェコのザーツホップがウイルス被害に遭ったとき、サッポロの独自技術によりこれを救ったが、この支援を主導したのは糸賀だった。個性的なアロマホップであるソラチエースの可能性を信じていた糸賀は、人的なネットワークによりオレゴン州立大学に持ち込んだのだった。
しかし、すぐに認められたわけではない。渡米から8年後の2002年、ワシントン州のホップ農家のマネージャー、ダレン・ガメッシュが埋もれていたソラチエースを見出したのである。それから5年ほどが経過し、ガメッシュは07年頃から全米のクラフトビールメーカーにソラチエースを紹介する。すると、上質な苦みと強い香りの高苦味アロマホップとして、有力なクラフトビールメーカーが次々に採用していく。
その一つが、ニューヨークのブルックリン・ブルワリーであり、ブリューマスター(醸造責任者)を務めるギャレット・オリバーが、その個性溢れる日本発・アメリカ産のホップを世界へと広めていった。「ブルックリン ソラチエース」という製品を通して。
ソラチエースはこうして、サッポロ社内では社員でさえ知らないのに、欧米のクラフトビールをはじめとするビール関係者の多くが知る存在となっていった。現実にアメリカを中心に世界のクラフトビールを支えるホップになっていく。
ビールは量産型から少量多種の時代へ
2016年にキリンはブルックリンと資本提携。18年10月、日本国内でキリンとブルックリンの合弁会社が「ブルックリン ソラチエース」を北海道で先行発売し、翌年2月には全国発売に切りかえた。
サッポロは19年4月から、「イノベーティブブリュワー ソラチ1984」を先行発売した。さらに、茨城県の有名クラフトブルワリー「木内酒造合資会社」(那珂市)は、2社よりも早く「常陸野ネストビールNIPPONIA(ニッポニア)」をすでに10年6月に発売していた。
いずれの商品も、アメリカ産ソラチエースが使用されている。
ちなみに、サッポロはその生産量から、アメリカならばクラフトビールのカテゴリーに入る。
ソラチエースが紆余曲折の末、全米の醸造家たちに認められていったのは、クラフトの再成長が始まり、さらに多様性が商品に求められるようになった背景があった。
だが、クラフトビールそのものも、今なお揺れ動いている。浮沈は絶えないし、醸造所が合併するなどで、定義から外れるケースもある。
コロナ禍前の18年、全米のクラフトビールは約7000社を数え、数量では米ビール市場の約13%を占めた。金額ベースでは24%程度(17年)だった。