発見当時のレスリーさんは、頬と歯ぐきとの間になにかを蓄え、ゆっくりと口を動かしていた。それはこの地域に自生するアマゾンココヤシの種だった。大きさは親指の先ほどで、脂肪分を豊富に含み、アマゾンの部族は植物油の原料として活用している。

子供たちが手に入れた種は未熟で、およそ食べることができない。そこでレスリーさんは口の中で、唾液と体温で種をほぐそうとした。先住民の捜索隊の一人は首都・ボゴタで開かれた会見で、「彼女は(種子を口に)蓄えていました。口内の温もりで種子がほぐれ、その果肉をきょうだいに与えられるようにと」と語っている。

写真=コロンビア軍ツイッターより
ジャングルの中を進むコロンビア軍。子供たちの残した足跡、はさみ、ミルクのボトルなどを手掛かりに捜索を続けた。

ヘアバンドで即席のシェルターを作る

アマゾンには有毒なヘビや蚊などが生息し、一夜を明かすのも安全でない。そこでレスリーさんは、自身と幼いきょうだいたちの安全を守ろうと、簡易的なシェルター(避難小屋)を設営した。墜落からまだ日が浅いうちに、機体残骸のすぐ脇でも設営を行ったようだ。

CBSニュースは「レスリーはタオルと蚊帳を使ってシェルターを完成させ、簡素なキャンプを設けた」と報じている。英BBCは「ヘアバンドで枝をまとめ、急場しのぎのシェルターを建てた」としており、おそらくはその上から蚊帳をかぶせただけの質素なものだったようだが、鮮やかなテクニックだったと言えよう。この際に使ったヘアバンドは捜索の過程で救助隊に発見されており、救助チームが生存への確信を強める材料にもなった。

日頃からアマゾンに住み自然に親しんでいたレスリーさんにとって、シェルターの作成はさほど困難でなかったかもしれない。レスリーさんのおばのダマリス・ムクトゥイさんはBBCに対し、レスリーさんと家族たちは日頃から「サバイバルゲーム」を楽しんでいたと振り返る。「(サバイバルゲームで)遊ぶとき、ささやかなキャンプのようなものを設営していました」。

「森には毒のある植物も多いですので、(レスリーは)食べられない果実を理解していました」とも語っている。遭難以前からのアマゾンでの日頃の暮らしが、自然と緊急時への備えとなっていたようだ。

幼い頃から学んできた“生き延びるすべ”

足の保護にも注意を怠らなかった。木の根で足の裏を切り裂けば、水場を求めて移動することすら困難となる。そこで、あり合わせの物資で目的を達する、彼女得意のサバイバル術がまた活きた。英ガーディアン紙によると発見時、彼女たちは足にボロ布を巻きつけ、靴代わりにしていたという。

写真=コロンビア軍ツイッターより
密林の中

英イースト・アングリア大学のカルロス・ペレス教授(熱帯林生態学)はワシントン・ポスト紙に対し、「同じ年齢の西洋の子供たち4人であったなら、命を落としていたかもしれません」と語る。アマゾンの部族で育つ子供たちは「非常に幼い頃から発達」し、食料の見つけ方や危険な捕食動物の避け方など、森で生き延びるすべを習得するのだという。