いっぽうで大学の側では、例えば2004(平成16)年に秋田県で国際教養大学が設立されるなど、地方でも英語で学べる国際関係の学部や大学の創設が相次いでいました。生徒たちの変わりゆくニーズに、学習院大学が追い付いていたとは言いにくい状況だったかもしれません。

読売新聞の記事は、「承子さまは、留学生が多く英語で授業が行われる学習環境を、絢子さまは児童福祉のコースを望まれた」「眞子さまは、入学後の2年間は専攻を決めず幅広く一般教養を学べる大学として、国際基督教大を選ばれた」と伝えており、あわせて当時の学習院長、波多野敬雄氏の「確かに時代のニーズに応えられなくなっているのかもしれない。学部を増設する必要性は感じている」との言葉を紹介しています。

こうした経緯がきっかけの一つとなったのか、学習院大学に国際社会科学部が新設されたのは、この記事が発表されてから6年後の、2016(平成28)年4月のことでした。

学習院大学正門(写真=momoishi/CC-Zero/Wikimedia Commons

秋篠宮家の「アンチ学習院」志向

ただ、そうしたことを踏まえてもなお、秋篠宮家には「アンチ学習院」の志向が強いように見えます。眞子さん、佳子さまの大学からのICU進学だけではありません。悠仁さまに至っては幼稚園からお茶の水女子大学附属で、高校で筑波大附属に進むなど、学習院には全く縁がありません。

「学習院が否定された」とプライドを傷つけられたような寂しい思いを感じたOB・OGも少なからずいたようです。悠仁さまはなぜ、学習院幼稚園にすら進まなかったのでしょうか。

学習院幼稚園は明治時代、現在の学習院女子中・高等科のルーツとなる華族女学校に男女共学で設置、太平洋戦争中に保育を停止、戦後に廃止されました。復活は1963(昭和38)年、当時の浩宮徳仁親王(現在の天皇陛下)を受け入れるためでした。満4歳の年次から入園する「2年保育」であり、紀宮清子内親王(黒田清子さん)ほか、複数の皇族が1年だけ別の幼稚園に通ったのち、学習院幼稚園に入園しています。

いっぽうお茶の水女子大学附属幼稚園は、満3歳の年次から入園する「3年保育」です。これが悠仁さま入園の決め手になったとみられています。

お茶の水女子大学付属幼稚園は、東京女子師範学校附属幼稚園として1876(明治9)年に開園した日本最古の幼稚園です。お茶の水女子大では母の紀子さまが、日本学術振興会の名誉特別研究員として健康と心理学をテーマに研究を続けています。同女子大では、子どものいる女性研究者を支えるため、附属幼稚園や小学校の特別入学制度を新設しました。その適用第一号が悠仁さまだったのです。