「子どもを産まない」のも生き物の習性
子どもが欲しくない自分でも、聞くとつらい言葉がある。「子孫を残すことが生き物の目的だ」という言葉だ。
もちろん一般的にそう言える。ただそれを聞くと、自分は何か大変な間違いを犯しているような気がしてしまう。
けれども個体数がいっぱいになれば、子どもを産まないのもまた生き物の習性だったのだ。日本で子どもを産まない人も、生き物の摂理にかなった選択をしているわけだ。
子どもがいない人はもう十分に多い。けれども市民権は満足に得られていないせいで、必要以上に「幸せになれない」と思わされているのかもしれない。
いないことになっていた「子どもが嫌いな母親」
家族心理学という分野で、今反省されていることがある。
この世界では、親子の間の仲がいい側面ばかりが強調されて、たがいに嫌だと思う感情があることを認めてこなかったという。特に、子どもをかわいいと思わない母親はあってはならない存在として非難されていた。
けれどもそんな感情は多くの母親にあることがわかり、最近ようやく当たり前のことと見なされるようになったという(※4)。
先入観というものは、こんな当たり前のことまで歪めるのかと驚いてしまう。笑顔、愛、絆。そんな世間に出回っている家族のイメージが、かえって心を落ち込ませることがないだろうか。
もちろん、家族なんてそれだけのものではないとわかっている。毒親やDVのニュースはひっきりなしに聞こえてくる。
それなのにキラキラしたイメージが溢れていると、なんだか世の中に愛想が尽きてくる。
何だってそうじゃないかと言われれば、確かにそのとおりだ。生きることも友だちづきあいも、みんなハッピーで素晴らしいということになっている。それについては、自分はちょっと考えたい。
なぜそうなるのだろう? どれにしてもいい面悪い面半々のはずなのに、どういう力がそうさせるのだろう?
そして、こうしたイメージをメディアなどから大量に送り出すことは、人を嫌な気持ちにさせているのではないか。一歩踏み込んで、そんなふうにとらえたい。