半年で偽造身分証の「量産体制」を整えた
カウフマンによる救援活動とは、指導者であるカウフマンのもとでユダヤ人たちが身分証明書を偽造し、それを闇で流通させるというものであった。活動に協力するユダヤ人たちは、報酬として食料配給券を受け取ったが、それもまた、多くは闇市で入手されたものだった。
カウフマンは加工した身分証明書を闇業者に売り、その利益で闇業者から配給券を購入した。闇業者との取引には、ユダヤ人協力者たちも関与した。潜伏ユダヤ人のなかには、生活上の必要からもともと闇市に出入りしている者も多かったから、闇業者に「顔のきく」彼らが関与することは取引を円滑に進めるために有効であった。
活動を軌道に乗せ、多くの偽造身分証明書を流通させるためには人手が必要だったが、その人材をカウフマンに紹介したのもまた、ユダヤ人たちであった。なかでも「チャク・シァルジィ」の中心人物であった「混血者」エディット・ヴォルフは、カウフマンの有力な協力者としてハラーマンやゼガール、シオマ・シェーンハウスらを彼に紹介し、ネットワークの拡大に貢献した。
では、カウフマンの活動に関与したユダヤ人はどれくらいいたのか。1942年夏の時点で身分証明書の偽造に関与していたユダヤ人は6人、食料配給券の不正入手にかかわっていた者は15人であったが、それからわずか半年後には、身分証明書の偽造者は22人、食料配給券の調達者は34人にまで拡大した。カウフマン・ネットワークがいかに短期間に偽造身分証明書の「量産体制」を整えていったかがみてとれる。
自宅を堂々と偽造身分証の受け渡し場所に
カウフマン・ネットワークによる活動はどのように展開されたのか。とくに、カウフマンによる証明書偽造の指示に始まり、偽造者たちによる「作業」を経て、完成品をカウフマンに手渡すまでの一連のプロセスはどのようなものであったのか。シオマ・シェーンハウスによる戦後の回想をもとにたどってみよう。
シェーンハウスの場合、偽造の指示や完成品の受け渡しは「連絡係」を介さず、カウフマンとの直接のやりとりによって行われた。その際、カウフマンが取引場所として指定したのは、彼の自宅であった。カウフマンの自宅を訪ねた際の印象を、シェーンハウスは後にこう語っている。
カウフマンの瀟洒な邸宅は、古木の茂る広大な庭園のなかにあった。「さあ、入りたまえ。待っていたよ」。温和な態度でそう言い、彼は私を古風な書斎へと導いた。部屋には革張りの肘掛け椅子があり、葉巻たばこをふかした匂いが残っていた。
(シェーンハウス 前掲書)
シェーンハウスのことばから、ドイツに住む他のユダヤ人が次々に移送されていくさなかにあって、元政府の高官であり、ドイツ人貴族階級出身の妻をもつカウフマンには特別な保護と豊かな生活が許されていた事実がうかがえる。
とはいえ、偽造の取引場所として自宅を使う行為は、一見あまりにも無防備に思える。だが、じつはこれにはゲシュタポに対するカウフマンの深い洞察があった。カウフマンは言った。ゲシュタポの職員たちは、犯罪者というのは、闇に紛れてこそこそと行動するものだと信じ込んでいる。彼らは犯罪学を深く学んでいないからね。だから私は、彼らの先入観を逆手に取り、あえて自宅を使うのだ。このほうが夜の暗がりのなかで待ち合わせをするよりはるかに安全なのだ。