ユダヤ人を迫害していたナチスドイツにおいて、ユダヤ人はどのような生活を送っていたのか。筑波大学教授の岡典子さんの著書『沈黙の勇者たち』(新潮選書)より、クラカウアー夫妻の例を紹介しよう――。
ベルリンのゲシュタポ
ベルリンのゲシュタポ[写真=連邦公文書館/Aktuelle-Bilder-Centrale、Georg Pahl(Bild 102)/CC-BY-SA-3.0-DE/Wikimedia Commons

夫は重い荷物運び、妻は一日中ジャガイモむき

マックス・クラカウアーは、ナチスが台頭する以前、ライプツィヒで映画配信会社を経営していた。1918年、30歳で小さな会社を起こして以来、自分の会社を誰もが知る大企業へと成長させることが彼の目標だった。

1932年、彼は飛躍のチャンスを掴んだ。前年にアメリカで製作されたチャールズ・チャップリンの映画『街の灯』のドイツでの放映権を25万ドルで買い取ったのである。だが同時に、これはクラカウアーにとって苦難の始まりでもあった。チャップリンを共産主義のユダヤ人とみなしていたナチスが、上映に強い不快感を示したからである。

1933年、ヒトラーが政権の座に就くとすぐにクラカウアーの会社は閉鎖に追い込まれた。夫妻はひとり娘のインゲとともにイギリスへの移住を試みたが、移住を許されたのは娘だけだった。1939年、ライプツィヒからベルリンに移ったクラカウアー夫妻は、以来、他のユダヤ人と同じように強制労働に従事させられた。

夫マックスは、軍需工場で重い木箱を運ぶ仕事を命じられた。一方妻カロリーネは、かつて屠畜場だった場所で、朝から晩まで立ったままジャガイモの皮むきをさせられた。だがすでに50代にさしかかり、しかも長年裕福に暮らしてきた彼らにとって、この生活はあまりにも過酷であった。神経をすり減らす日常と過重な肉体労働は、夫妻から容赦なく体力を奪った。

自宅にゲシュタポが踏み込んだ

夫妻の運命を大きく変える事件が起きたのは、1943年1月29日であった。その日、夫妻の住むユダヤ人住居にゲシュタポが踏み込んだのである。当時この住居には、夫妻を含めて11人のユダヤ人が住んでいた。ゲシュタポは強制労働から帰宅した住人を待ち伏せては、片っ端から連行していった。

その日の夕方、何も知らないカロリーネはいつものように疲れきって強制労働先から戻ってきた。彼女が玄関に近づいたとき、突然物陰からひとりの女性が現れた。女性はカロリーネに素早く近づくと、こうささやいたのだ。

「アパートにゲシュタポが来てるわ。早く逃げなさい。急いで!」

そのときカロリーネは、女性がドイツ人の知人クラウゼであることに気づいた。クラウゼは夫妻に危険が迫っていることを知らせるためだけに、凍てつく寒さのなかで何時間もの間、いつ帰宅するかわからない夫妻を待ち続けていたのである。

カロリーネはすぐにユダヤ人病院に向かった。その日夫は体調を崩し、仕事のあと病院に寄ることになっていたからである。病院でふたりは無事に再会した。だが、二度と自宅に戻ることはできない。身一つでの逃亡生活が始まった。