近隣住民に怪しまれる前に潜伏先を変える

8月8日、夫妻はようやくシュツットガルト中央駅にたどり着いた。駅のホームに降り立ったとき、夫マックスは安堵あんどのため息をついたが、町の風景を目にすると、深い孤独に襲われた。見知らぬこの町で、自分たちはたったふたりきりなのだ。まるで大海に投げ出された藁くずになったような気もちだった。

ふたりは道に迷いながらもなんとかミュラー牧師の自宅にたどり着き、最初の夜を迎えた。長身で活力にあふれたミュラーは、船乗りのような風貌だった。ミュラー牧師は夫妻に対し、ここでの滞在は一晩だけで、明日は次の潜伏先に移動するように伝えた。ミュラー牧師の自宅は狭い賃貸アパートで、近隣住民に気づかれずにふたりを滞在させることは不可能だったからだ。

ユダヤ人潜伏者が一軒の家に長くとどまれば、必ず近所の者たちに怪しまれる。そこでミュラーたちヴュルテンベルク内の聖職者たちは互いに連携しあい、近隣住民に気づかれる前に潜伏者を次の救援者のもとに送り出す方法を考案していた。ユダヤ人潜伏者は滞在先で「家を失った爆撃難民」として紹介され、あらぬ噂が立つ前に次の救援者のもとに送られた。

こうして救援者たちは、仲間の間で潜伏者をいわばリレーのバトンのように受け渡すことで、周囲の目をかわし、救援者と潜伏者の双方を密告から守ろうとしたのである。ミュラーたちは、この方法で終戦までに13人のユダヤ人の命を守った。そのなかには、クラカウアー夫妻と同様に遠くベルリンから救いを求めてやってきた者もいた。

救援ネットワークを築いた聖職者たち

ヴュルテンベルクの中心都市(大管区都)であるシュツットガルトは、さきにふれた告白教会の拠点であった。告白教会は激しい弾圧により、この時期すでに衰退に追い込まれていたが、聖職者や信者たちは、ナチスの迫害からユダヤ人を守ろうと秘かに活動を続けていたのである。

ミュラーは、告白教会に与するヴュルテンベルク内の聖職者や信者たちを率い、大規模な救援者ネットワークを築いていた。ネットワークの中心にいたのは、ヴュルテンベルクとその近郊に住む計17名の教区監督たちであった。彼らは互いに連絡し合い、教区の信者たちをまとめて緻密な救援活動を成立させていた。

このヴュルテンベルクの救援ネットワークに関与し、ユダヤ人に手を貸した者は150人から200人ほどいたと考えられている。もっとも、ほとんどの一般信者たちは、自分が大規模なネットワークに所属しているという認識はなかったし、ネットワークに誰が属しているのかも知らなかった。

全体を把握していたのは、活動の中枢にいる聖職者たちだけであった。一般信者たちは、自分が所属する教区の牧師の指示に従い、行動したに過ぎない。それは万一誰かが逮捕された際、他の救援者を守るための必須条件であった。たとえ取り調べを受けても、知らなければ自白のしようもないからである。